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『Wの悲劇』はミステリーの名作が起源? タイトルのルーツをたどる楽しみ方

(C) KADOKAWA 1984

『Wの悲劇』はミステリーの名作が起源? タイトルのルーツをたどる楽しみ方

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『Wの悲劇』あらすじ

劇団の研究生で女優を目指す三田静香(薬師丸ひろ子)。劇団の次回公演である『Wの悲劇』の主役オーディションに臨むものの見事に落選。主役の座を射止めたのは同期のかおり(高木美保)だった。静香に与えられたのは端役の女中とプロンプター。。落ち込む静香はひょんなことから、元劇団員で今は不動産屋で働いている森口(世良公則)と出会う。静香に一目惚れした森口は、静香が女優になれなかったら自分と結婚して欲しいと申し込む。その後『Wの悲劇』公演が始まる中、静香は劇団の看板女優である羽鳥翔(三田佳子)のスキャンダル現場に偶然出くわしてしまう。翔のパトロンの堂原がホテルの翔の部屋で情事の最中に腹上死してしまったのである。スキャンダルが報じられることを恐れた翔は、静香に『Wの悲劇』の主役と引き換えに自分の身代わりを提案。静香は主役への執着からその提案を受け入れるのであった。。


Index


「劇中劇」として使われた夏樹静子の原作



 薬師丸ひろ子が、舞台の上で渾身の演技をみせる。「私、おじい様を殺してしまった!」。そう彼女が叫んだ瞬間、舞台前方のフットライトが一斉に点灯し、ヴェルディの「怒りの日(「レクイエム」より)」が大音響で鳴り響く。


 「Wの悲劇」のクライマックスの見せ場。演出は蜷川幸雄……とは言っても、映画『Wの悲劇』の監督が蜷川ではない。主人公・三田静香が所属する劇団の公演「Wの悲劇」で、演出家を演じているのが蜷川幸雄なのだ。当然、舞台の演出にも彼のアイデアが取り入れられている。映画『Wの悲劇』は、劇中で上演される舞台と同じタイトルなのだ。


 この作品、一応、夏樹静子の「Wの悲劇」が原作になっているが、全体のストーリーはオリジナル。「劇中劇」である舞台の「Wの悲劇」が夏樹の原作を基にしている、というわけ。ちょっとばかりややこしい。その夏樹静子の「Wの悲劇」。タイトルを聞くだけで、ミステリーファンなら名作へのオマージュだとわかるはず。推理小説の大家として知られるエラリー・クイーンの「Xの悲劇」「Yの悲劇」「Zの悲劇」(もう一作の「レーン最後の事件」を加えて「悲劇四部作」を形成)を意識してつけられたタイトルだからだ。それぞれのアルファベットが作中で意味をもつように、夏樹の小説の「W」は「Woman(女性)」「Watsuji(主人公の名字・和辻)」を象徴している。


 夏樹静子は「Mの悲劇」という作品も書いたが、エラリー・クイーンと並ぶミステリーの大家、アガサ・クリスティの名作「そして誰もいなくなった」にオマージュを捧げた「そして誰かいなくなった」も書いている。こちらは設定もクリスティの作品に近い。「そして誰もいなくなった」といえば、2016年に藤原竜也主演のTVドラマも放映された。タイトルは「そして、誰もいなくなった」と「、」が追加されている。ストーリーはまったく関係ないが、こうしてタイトルのつながりを考えると、さまざまな方向に話題は広がっていく。


 ちなみにクリスティの「そして誰もいなくなった」は、1945年の、名匠ルネ・クレール監督作以来、何度も映画化されているが、なかなか傑作には至っていない。映画化が難しい題材であるためか……。タイトルに絡めてさらに突き詰めると、この作品、最初は「Ten Little Niggers(10人の黒人の少年)」だったのが、「Ten Little Indians(10人のインディアンの少年)」を経て、「And Then There Were None(そして誰もいなくなった)」と変遷した。「Nigger」「Indian」と、ともに人種差別的問題があったからだ(両方とも「人形」を指しているのだが)。




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