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『ひとよ』静の暴力、愛の体温―白石和彌の新境地は「家族映画」を刷新する

(c)2019「ひとよ」製作委員会

『ひとよ』静の暴力、愛の体温―白石和彌の新境地は「家族映画」を刷新する

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物語性を付加させる「汚し」



 ここまで、物語の詳細については極力触れずに筆を進めてきた。最後に、白石監督の演出と白石組ならではの「汚し」について紹介したい。


 本稿の冒頭で家族映画ならではの「圧」について書いたが、白石監督の“覚悟”は、ファーストカットから強くにじんでいる。雨が激しく降りしきるなか、家族経営のタクシー会社をじっと見つめるカメラ。映像や構図にはっきりとした斬新さがあるわけではない。ただ、画面から伝わる“気概”がすさまじい。


 現場の空気、スタッフやキャストの想い、そういった目に見えないオーラが宿ったがゆえの所業といえる。何も説明されていない段階にもかかわらず、ぐっとのめり込むように観てしまうことだろう。


 『孤狼の血』ではブタの脱糞シーンのアップから始まり、『彼女がその名を知らない鳥たち』ではアパートの室内をなめるように動くカメラの中でクレーム電話をかけるヒロインが映し出されるなど、白石監督は元々掴みが上手いクリエイターではあるのだが、過去作に対して控えめな構図にもかかわらず、本作が「本物」である理由はわずか1秒で証明される。


『孤狼の血』予告


 このシーンにも表れているのだが、白石監督の作品は「映像の物語力」とでもいうべき空間演出能力が傑出している。役者がその空間の中に立つ以前に、画面が感情やトーンのみならず、「人物の過去」や「経済状況」「趣味」といった要素を十二分に説明しているのだ。以前、筆者が『彼女がその名を知らない鳥たち』で蒼井優・阿部サダヲにインタビューを行った際にも、「空間に助けられた」「あの中に入るとスイッチが入る」と話していた。


 これには、白石監督のほぼすべての作品に携わる美術の今村力の功績が大きいだろう。「とにかく物を置く」タイプのデザイナーである今村は、撮影期間中にセットに物を「増やす」ことも多いのだとか。『ひとよ』のプロデューサー陣によれば、カメラに映らない部分にも「役者が気づいてくれればいい。演技の助けになれば」と様々な“情報”を残していたという。


 画面全体の「過激度」についてはどうだろうか。白石作品ではバイオレンスが注目されがちだが、本作では影を潜めている。家庭内暴力のシーンなどは観ているこちらが心配になるほど苛烈ではあるのだが、流血シーンがほぼ皆無だ。


 ただ、白石監督の作品ではバイオレンスが表現方法として存在しているのではなく、そこには必ず“想い”と“理由”がある。感情の表出方法として「暴力」が選択される、というロジックがあるため、パワーダウンした印象は一切ない。それよりも、「暴力」に対する畏れといった点で、より普遍的な家族の物語に深化した格好だ。



『ひとよ』(c)2019「ひとよ」製作委員会


 直接的な暴力ではなく、間接的な暴力、それは言葉であったり不信であったり、或いは暴力という“対話”自体を拒否する――そういった意味で、白石監督の真骨頂である「感情の暴力性」は、一段階進んだといえるだろう。


 ここで、こはるが子どもたちのもとに戻った翌朝の朝食シーンに注目したい。こはるが早起きして食事を作るシーンは、観客からすれば15年ぶりの団欒の場として期待してしまうはずだ。だが食卓に集った子どもたちは食事にほぼ口を付けることはなく、タブレットから目を離さないなど、コミュニケーション不全が発生している。歓待ではなく拒絶――子どもたちの態度がそのまま、こはるへの「答え」を示しているのだ。このシーンは、白石監督の新たな「暴力」演出として、強烈な印象を残す。これまでの「動」の暴力に加えて、「静」の暴力がレパートリーに加わったのだ。


 白石監督の進化はここにとどまらず、作品全体のテイストのグラデーション、先に述べた「総合型」から「特化型」への転換など、多様な挑戦と実験が作品全体から見て取れる。「愛」に対する見解も、家族というテーマに合わせてかつてないほど希望的に変化した。従来の作品では愛によって破滅していくキャラクターが多かったが、本作では“その先”を見せようとしている。愛は不確かなものであるが、同時に最も変わらないものでもある――そんなメッセージが流れているようだ。


『彼女がその名を知らない鳥たち』予告


 その“真実”に順ずるかのように、後半に行くにしたがって「人情」の度合いが強まっていき、『ひとよ』は“体温”を帯び始めていく。『彼女がその名を知らない鳥たち』のクライマックスでこれまでになかったロマンチックなスローモーションのシーンが挿入されたように、『ひとよ』にも観る者の琴線に触れるドラマティックなシーンが用意されており、その場面をもってして、「母と子の物語」から「家族の物語」へと完全にシフトする。


 どれだけ嫌おうとしても、憎もうとしても、子どもたちにとって母親は1人しかいない。そして母も子も、どれだけ繕ったところで互いを愛する気持ちは偽れないのだ。隠し通すか、素直に伝えるか――きっと、そのどちらかしかないのだろう。


 救うのは、母のみの特権なのか。子どもは常に、親の後を追いかけるだけなのか。本作が導こうとする“道”は、映画監督・白石和彌の無限の可能性を示すと同時に、家族映画の新たな未来をも照らし出している。



文: SYO

1987年生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション・映画情報サイト勤務を経て映画ライターに。インタビュー・レビュー・コラム・イベント出演・推薦コメント等、幅広く手がける。「CINEMORE」「FRIDAYデジタル」「Fan's Voice」「映画.com」等に寄稿。Twitter「syocinema」


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作品情報を見る



『ひとよ』

2019年11月8日(金)全国ロードショー

配給:日活

(c)2019「ひとよ」製作委員会


※2019年11月記事掲載時の情報です。

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