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『レット・イット・ビー』ザ・ビートルズ終末期の光と影を図らずも焼きつけた哀愁のドキュメンタリー

(c)Photofest / Getty Images

『レット・イット・ビー』ザ・ビートルズ終末期の光と影を図らずも焼きつけた哀愁のドキュメンタリー

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セッションの始まりと不協和音



 監督には、テレビの音楽番組でディレクターを務めたのをきっかけに、ビートルズやザ・ローリング・ストーンズといったロックバンドのプロモーション・フィルムを撮影するようになったマイケル・リンゼイ=ホッグを起用。『ア・ハード・デイズ・ナイト』と『ヘルプ!』でも使用されたロンドンのトゥイッケナム・フィルム・スタジオで1969年1月2日、撮影が始まる。だだっ広いスタジオの真ん中あたりにこぢんまりとドラムセット、ピアノ、アンプ類、マイクスタンドなどが設置され、周囲には撮影用の照明も配された。


 1月のトゥイッケナムは寒く、また四六時中カメラを向けられる環境に、ポールを除くメンバーは早々にうんざりし始める。映画では、作曲者が楽器を弾きながらコード進行を説明したり、曲のアレンジを変更して合うかどうか確認したりする過程が収められているが、ジョージは自分が弾くリードギターのパートに細かく注文をつけてくるポールに腹を立て、ふてくされたように言い返す場面まで使われている。「なあ、そういう弾き方はしないでくれ」「どうとでもお望みどおりに弾くさ、僕に弾くなっていうなら一切弾かないよ」といった具合だ。


『レット・イット・ビー』メイキング


 また、ギターを弾くジョンの横で表情を変えずじっと座っているオノヨーコ(小野洋子。映画の収録後にジョンと結婚)の存在にも、他の3人は当初困惑した。かつては曲作りのスタジオはメンバー4人だけで、という暗黙の了解があったからだ(ただし映画の中盤以降、他のメンバーたちも家族や恋人を伴って収録に臨んでいる)。


 トゥイッケナムでのセッションは結局、10日足らずで終了する。ジョージがギターを持ってスタジオを出ていき、そのまま戻らなかったのだ。



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