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『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』虐げられた者たちに“呼吸”を与える、逞しき「100%自己中映画」

(C) 2020 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics.

『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』虐げられた者たちに“呼吸”を与える、逞しき「100%自己中映画」

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善悪のしがらみを取っ払った「自分らしさ」



 シリアスなシーンも(そう装ってないにせよ)かなりの頻度で示唆的に盛り込まれている『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』は、娯楽性と社会性のせめぎ合いが大きな魅力と言えるのかもしれない。最後に、本作の「構造」「多様性」について見ていこう。


 本作の最大の特長ともいえるのが、「構造」。どういうことかというと、この映画は時系列が滅茶苦茶なのだ。初めて観た方は、かなり面食らうかもしれない。ただここには明確な意図があり、「物語がハーレイの思いのまま」進むということ。ハーレイは物語の主人公であると同時にストーリーテラーであり、本作で描かれる事件は「ハーレイが思い出したり、話したい順番」で描かれる。そのため、記憶が曖昧な部分は端折られたり早送りで再生されたりと、実に自己中心的な構造になっている。


 乱暴に言えば、観客に向けた「見やすい」作りではないということ。ただここも、ハーレイの自立を示すためには必要不可欠なピースなのだろう。クリストファー・ノーラン監督の出世作『メメント』(00)も「記憶が10分間しかもたない」主人公の状態を体感させるようなトリッキーな作りになっているが、本作はより意図的であり作為的だ。しかしこの“作為的”の主語は製作者ではなく、ハーレイにあるという部分が秀逸。ハーレイによって“編集された”物語であるという前提を、構造自体で表現しているのだ。



『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』(C) 2020 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics.


 ここで注意したいのは、本作にあるのは「自由な編集」であり、「自由な脚色」ではないということ。つまり、ハーレイというこの物語の語り手は順番こそ滅茶苦茶だが、内容においては全てを包み隠さず話してくれる。ジョーカーにフラれてボロボロになったことも、飲みすぎて危ない目にあったことも、痴態も失敗も全て見せる――。そこにあるのは、観客への無条件の信頼。実にいじらしいではないか。だからこそ、本作には押しつけ感や嫌みがない。


 自分らしく生きる。でも、高圧的にはならない。このスタンスは、作品の中に流れる「多様性」にも表れている。これはあくまで私見だが、物語における多様性とは「正義と悪」のような二元論ではなく、人それぞれの考えがあるのだ――と認めることのような気がしている。


 つまり、極端なことを言えば犯罪に走ることも一つの生き方として描くということ。倫理的にどうとか法律的に間違っているというのとはまた別の考え方として、そういう生き方や考え方が「存在するのだ」ということに蓋をしないということ――直近の映画であれば、『天気の子』(19)などからも、そういった意識が色濃く感じられる。


 世間的には悪者であっても、物語の中では居場所を与える。この「日陰者たちにスポットを与える」をずっと行ってきたのは、DC映画なのだ。『スーサイド・スクワッド』もそうだし、『ジャスティス・リーグ』(17)もそう。バットマンの映画化作品はみな、ドラマ『GOTHAM/ゴッサム』(14〜)なども含めてはみ出し者にスポットを当ててきた。


『ジョーカー』予告


 『シャザム!』(19)に至っては、ヴィランの幼少期の描写から始まる。例外となりそうな“根明キャラ”のスーパーマンは、『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』(16)で排斥運動が起こってしまい、英雄の座から引きずりおろされる。アウトローやマイノリティの目線を決して忘れない。その到達点が『ジョーカー』であり、本作にもDC映画の系譜が脈々と受け継がれている。


 「自分らしく、ありのまま生きる」といえば『アナと雪の女王』(13)が思い浮かぶが、この作品は「王子様と結ばれる=幸せ」という図式を真正面から否定したエポック・メイキングな映画だった。そして『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』もまた、高らかに謳う。「自分らしくぶっ壊せばよくない?」と。


 『ジョーカー』が悪への共振を描いた深遠な作品であるなら、本作は善も悪も、選択肢を否定しない応援ムービーだ。周囲の人間に人生を狂わされたといえ、ハーレイは与えられた生を脱却し、自らの意志で「ハーレイであること」を選択して、確信をもって悪の道を突き進んでいく。それを誰が否定できようか? 「犯罪者を応援するなんて」という意見も承知のうえで、『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』は、これこそが今の価値観なのだと提示する。映画の中でくらい、生きたいように生きればいいのだ。


虐げられた者たちに祝祭を、生きづらい人々に安息を――。

本作の中には、確かに“酸素”がある。



文: SYO

1987年生。東京学芸大学卒業後、映画雑誌編集プロダクション・映画情報サイト勤務を経て映画ライター/編集者に。インタビュー・レビュー・コラム・イベント出演・推薦コメント等、幅広く手がける。「CINEMORE」「FRIDAYデジタル」「Fan's Voice」「映画.com」「シネマカフェ」「BRUTUS」「DVD&動画配信でーた」等に寄稿。Twitter「syocinema



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作品情報を見る



『ハーレイ・クインの華麗なる覚醒 BIRDS OF PREY』

2020年3月20日(金) 全国ロードショー

配給:ワーナー・ブラザース映画

(C) 2020 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics.

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