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『ライトスタッフ』ハイテク=リアルではない!圧倒的なリアリティを実現させた特撮スタッフの努力の結晶

(c)1983 The Ladd Company. All.rights reserved.

『ライトスタッフ』ハイテク=リアルではない!圧倒的なリアリティを実現させた特撮スタッフの努力の結晶

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特撮技法の変更



 本編班がサンフランシスコを留守にしていた3ヵ月間、ほとんどグティエレスはカウフマンと連絡が取れなかった。何とか使えそうなフィルムは、クラシフレックスとオプチカル・プリンターを用いてブルーバック合成された、フレンドシップ7が宇宙空間を飛行している場面のみである。これとて、再突入シーンの表現をどうするかが未解決で、様々な材質を用いてテストばかりが繰り返された。その結果、フィルムの消費量は膨大になり、どんどん予算を圧迫していくことになった。


 そして、最大40人に膨れ上がったUSFXスタッフの、ストレスは限界に達する。待ちきれなくなったグティエレスは、プロダクション・マネージャーのホイットニー・グリーンと共にエドワーズ空軍基地に乗り込み、直接カウフマンやプロデューサーたちと話し合いの時間を取ってもらった。なかばケンカ腰の会議により、カウフマンはUSFXの作業中断を言い渡す。



『ライトスタッフ』(c)1983 The Ladd Company. All.rights reserved.


 1982年の6月末、カウフマンはサンフランシスコに戻り、撮影監督のキャレブ・デシャネル、プロダクション・デザイナーのジェフリー・カークランド、そしてジョーダン・ベルソンの3人を連れて、USFXのスタジオを訪れる。そして実際にクラシフレックスを動作させて、その機能を確認し、これまでに撮影されたXS-1やX-1Aのテストフィルムを確認した。彼はこの映像にまったく満足せず、モーション・コントロール撮影の完全な放棄を決定する。そして彼は「もっとクレージーに!」と何度も強調した。つまり、過度に振付けられた映像(*7)に不満を感じ、混乱の極みのような不安定さを求めたのである。


 その結果、グティエレスはチームの大幅な再編成を強いられ、ステットソンは『ブレインストーム』(83)のためにEEGに戻った。また、モーション・コントロール撮影のカメラマンだったマイク・ロウラー(『スター・トレック』や『帝国の逆襲』の特撮カメラマン)は、『2010年』(84)を手掛けるBFC(旧EEG)に移動する。こういったベテラン勢の抜けた穴は大きかったが、逆に先入観のない自由な社風が生まれることになった。


*7 これは今でも、ストーリーボードどおりの映像をCGアニメーターたちが作ってしまいがちだ。実際に撮影されたフィルムは、機体がきれいにフレームの中央に収まっていたりはしない。カウフマンは、NASA、空軍、ベル・エアクラフト社などから提供された、本物の記録映像とブレンドして編集するつもりだった。そのため、それらが持っている必死さ‐カメラマンが何とか被写体を捉え続けようとする感じ‐を、特撮フィルムにも求めたのである。



インカメラによるスタジオ特撮



 グティエレスは、思い切った方向へ舵を切ることにした。つまり、ハリウッド撮影所全盛時代に数多く作られた戦争映画のような、インカメラ(一発撮り)によるローテク特撮の復活である。


 まず少々の事では壊れない、硬質ウレタンフォーム製のXS-1やX-1Aの軽量で頑丈な模型を作った。そして、スタジオ内に全長24mのカメラレールを引き、アートスーパーバイザーのイエナ・ホルマン(本職はマットアーティスト)が青空にチョークで雲を描いた大きな背景画のパネルと、液体窒素による雲、太陽を表現する10kwのライトなどを用いて飛行シーンが再現された。そして、機体表面への雲海の映り込みを表現するために、スタジオ全体がパラシュート用の布で覆い尽くされた。


 また、カメラのレンズ前でアルコール燃料を燃やすことで大気の揺らぎを表現し、強めのフォグフィルターを掛けることで空気遠近効果を出した。さらにカメラと模型の間を紗幕で仕切り、この幕を扇風機と液体窒素でバタバタとあおって逆光で撮影することにより、超音速状態の空気感の表現も行っている。



『ライトスタッフ』(c)1983 The Ladd Company. All.rights reserved.


 カウフマンは8月から、サンフランシスコ北部の閉鎖されたハミルトン空軍基地の格納庫で、スクリーンプロセスによる撮影を始めていた。これは航空機や宇宙船のコックピット用に行われた作業で、当時主流のフロント・プロジェクションではなく、あえて30~60年代式のリア・プロジェクションで行った。このプロセス用の背景映像もUSFXとベルソンが提供していたが、この共同作業が皆の連携を高めるきっかけにもなった。


 そしてスクリーンプロセスを担当していたのが、元ILMのリック・フィッチャーだった。作業を終えた彼は、USFXに特撮カメラマンとして合流する。このころUSFXスタッフは、カウフマンの意図することが完全に理解できるようになっており、どんどん過激な手法を試し始めていた。まず白黒フィルムでテスト撮影し、15分で簡易現像してカウフマンに見せ、OKが出たら即本番という調子で作業を進めた。


 例えば、チェイスプレーン(随伴機)から撮影している雰囲気を出すために、望遠レンズ(*8)による手持ち撮影を多用するようになっていた。しかし手動では、超音速突破の激しい振動が表現できない。そこでグティエレスは、自宅にあったパナソニックの電動マッサージ機を持ってきて、これをレンズに取り付け画面を小刻みに揺らした。



『ライトスタッフ』(c)1983 The Ladd Company. All.rights reserved.


 しかし腕の筋肉に限界を感じたフィッチャーは、自宅からモーター駆動に改造したアイモ(*9)を持ち込む。そしてニコンの50~300mmのズームレンズをセットし、ズーミングしながら同時に背景と模型を回転させ、カメラも振り回しながら撮影を行うことで、制御不能に陥ったX-1Aを表現した。


*8 一般的にミニチュア撮影では、被写界深度を深くすることと遠近感を強調するために、広角レンズが使用される。しかし『ライトスタッフ』では、記録映像的な雰囲気を出すことと、手ブレ効果を狙って、あえて望遠レンズを用いているショットが多い。


*9 アイモとは、ベル&ハウエル社のゼンマイ駆動式35mm映画用カメラ。小型軽量かつ頑丈であるため、従軍カメラやニュース映画の撮影の他、スタントシーンにおける「クラッシュ・カム」としても使用された。



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