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『プラトーン』ベトナムでの「自分」を再現することで生まれた戦争映画の傑作 ※注!ネタバレ含みます。

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『プラトーン』ベトナムでの「自分」を再現することで生まれた戦争映画の傑作 ※注!ネタバレ含みます。

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※本記事は物語の結末に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。


『プラトーン』あらすじ

1967年、激戦のベトナムに若い志願兵クリスがやってきた。少数民族や貧しい者たちからの徴兵に憤った彼は名門大学を中退してベトナム行きを志願したのだ。だが、いきなり最前線小隊『プラトーン』に配属された彼を待ちうけていたのは、想像を遥かに超えた過酷な戦争の現実だった。戦争の名のもとでの殺人、疑惑と憎悪、そして人間性の喪失との戦い…。死の恐怖が渦巻く最前線の中、彼はやがてベトナム人への虐殺・略奪・強姦など、戦争の狂気とその現実を体験していく──。


Index


「地ベタの目線」で作られた、それまでになかったベトナム戦争映画



 1986年12月、『プラトーン』はニューヨーク、ロサンゼルス、トロントのわずか6館の映画館でひっそりと公開された。予算わずか600万ドル(当時のハリウッド映画の平均的予算の半分)で製作された同作は、ビッグスターどころか女性も一切出演しておらず、配給会社からはヒットしないと見られていた。しかし、ニューヨークでは、公開初日から人々が映画館に列をなし、1週間の興行収入の新記録を樹立。瞬く間に公開は全米に広がり、アメリカ国内だけで製作費の20倍以上となる1億3千万ドルを稼ぎ出した。


 さらに『プラトーン』はアカデミー賞で、作品賞、監督賞など主要4部門を受賞、オリバー・ストーン監督の名を世界に知らしめた。本作への賛辞で最も的を射ているのは「ロサンゼルス・タイムズ」の記事だろう。「この作品と比べると、過去の戦争映画は、その最高傑作でさえ、遠くからクレーン・ショットでこわごわと撮った作品に見えてくる…プラトーンは地上ゼロメートルで撮られた映画である」


 『プラトーン』以前にベトナム戦争を描いた作品はいくつもある。『地獄の黙示録』(79)、『ディア・ハンター』(78)、『帰郷』(78)。さらには『ランボー』(82)もベトナム戦争の後遺症に苦しむ兵士を描いた点で、ベトナムものに数えられる。これらの作品はベトナムの戦場で何が起きていたかを断片的に、時に大きな脚色をもって描いたが、『プラトーン』は全くちがったアプローチをとっていた。


『プラトーン』予告


 ストーンは1967年から1年5か月もの間、ベトナムの戦場で一兵士として戦った。『プラトーン』は劇映画だが、そこで描かれる戦闘やエピソードのほとんどは彼が戦場で体験した事実をほぼそのまま再現している。つまり同作はひとりの兵士が見た戦場のルポルタージュだったのだ。


 ストーンは当時を振り返りこう語る。「俺は人が死んでいくのを見た。俺は人を殺した。俺はもう少しで殺されそうになった。…おそらく、俺はなんらかの理由があってすくわれたのだろう。なにかをするために。たぶん、この経験を書くためなのだろう。この経験を映画にするためなのだろう」


 ベトナムから帰還したストーンは、大学で映画を学び、精力的に脚本を執筆した。そして1976年、遂に『プラトーン』にとりかかり、わずか3週間ほどでシナリオを完成させた。「俺は思い出せるかぎり、できるだけストレートに、このシナリオを書いたんだ」


 しかし、その脚本はどの映画会社からも突き返された。76年はベトナム戦争終結からまだ1年余り、アメリカが史上初めて味わった「敗戦」の苦味が人々の間にまだ生々しく残っていた。しかし、80年代を迎えると風向きが変わった。先述のベトナムものが盛んに製作されたことで、『プラトーン』の製作にもGOサインが出された。脚本執筆から10年を経て、ついに撮影がスタートしたのだ。



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