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『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』スピルバーグが“父親”に託した決意とは?

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『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』スピルバーグが“父親”に託した決意とは?

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『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』あらすじ

インディの宿敵ナチスが舞い戻り、聖杯の発見を手伝わせるためにインディの父親ヘンリー・ジョーンズ教授をさらった。手掛かりを追ってアメリカからベニスへ。父親の救出、聖杯の発見、正義の勝利はインディの手にかかっている。


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スピルバーグ版『そして父になる』



 「捨て子」。それは、多くの識者が指摘しているように、スティーブン・スピルバーグのフィルモグラフィーで一貫して扱われているテーマだ。


 『E.T.』(82)のエリオット少年(ヘンリー・トーマス)は父親不在の核家族で育っているし、『太陽の帝国』(87)のジェイミー(クリスチャン・ベール)は上海で両親と離ればなれになってしまう。『A.I.』(01)の少年型ロボット・デイビッド(ハーレイ・ジョエル・オスメント)は母親の愛を求めてさすらい、『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(02)のフランク(レオナルド・ディカプリオ)は天涯孤独の身の上だ。


 『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』(97)に至っては、人間ではなくTレックスの子供が「捨て子」に据えられ、怒り狂った母親Tレックスはサンディエゴで大暴れ。電気技師の父親とピアニストの母親の元で育ったスピルバーグ自身、幼い頃に両親の離婚を経験している。おそらく「捨て子」は、彼の奥底に沈殿している潜在的命題なのだろう。


『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』予告


 しかしこの「捨て子」というテーマは、「父親」という側面からスポットを当ててみると、時代によって描き方が微妙に変化していることに気づく。芥川賞作家にして映画評論も手がける阿部和重は、対談本の中でこんな発言をしている。


 「まず初期のスピルバーグ映画っていうのは、父親が出ていく話なんですね。家庭を捨てて、母子をおいて父親が『外』に出ていく。」(『ロスト・イン・アメリカ』より抜粋)


 なるほど、確かに初期作品『ジョーズ』(75)の主人公ブロディ(ロイ・シャイダー)は妻と子供を置いて海へ、『未知との遭遇』(77)の主人公ニアリー(リチャード・ドレイファス)は宇宙へ旅立っていった。家族よりも果たすべきミッションが優先され、残された者は「捨て子」となる運命だった。


 だがスピルバーグが結婚して子供を授かり、彼自身が父親という立場になると、映画に置ける父親もまた、子供たちの“庇護者”という役割へと変化する。『シンドラーのリスト』(93)のオスカー・シンドラー(リーアム・ニーソン)は、ユダヤ人という“子供”を救わんとする“父親”に目覚めていく物語だし、子供嫌いと公言していた『ジュラシック・パーク』(93)のグラント博士(サム・ニール)は、冒険を通して子供たちと心の交流を通わせていく。



『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(c)Photofest / Getty Images


 『フック』(91)のピーター・パン(ロビン・ウィリアムズ)は、最もわかりやすい例だろう。家族を省みずに仕事に熱中していた40歳のピーター・パンが、ネバー・ランドで一大アドベンチャーを繰り広げたあと、再び家族の元へと戻っていく。“永遠の少年”だった彼が、“父親”の自覚を得るまでの物語なのだ。


 『インディ・ジョーンズ』シリーズで、最もそのテーマが色濃く表れた作品が、3作目となる『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』(89)。この作品は、スピルバーグ版『そして父になる』ともいうべき映画なのである。


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