1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. ハンナとその姉妹
  4. 『ハンナとその姉妹』人生は無意味である。それは人間が到達した究極の結論である。
『ハンナとその姉妹』人生は無意味である。それは人間が到達した究極の結論である。

(c)Photofest / Getty Images

『ハンナとその姉妹』人生は無意味である。それは人間が到達した究極の結論である。

PAGES


まるで小説のようなスタイル



 80年代はアレンの絶頂期で、湧き出る泉のように次々に新作を撮っていた。80年の『スターダスト・メモリー』から89年の『重罪と軽罪』まで10本の長編と1本のオムニバス映画がある。すべてが傑作だったわけではないが、『ハンナとその姉妹』以外にも、『カメレオンマン』(83)、『ブロードウェイのダニー・ローズ』(84)、『カイロの紫のバラ』(85)、『ラジオデイズ』(87)、『重罪と軽罪』と重要な作品が揃っていて、すべてミア・ファローとのコンビ作。そして、『ハンナとその姉妹』では2度目のアカデミー脚本賞を受賞している。


 3人姉妹を中心にしつつ、群像劇のような構成になっていて、まるで小説のようなスタイルで進む。それぞれのエピソードの前に「私たちは楽しい時間をすごした」、「電話ボックスの中の男の不安」といったキャプションがついていて、その後の展開への好奇心をかきたてる。アレン自身は、筆者の拙訳「ウディ・オン・アレン」(スティーグ・ビョークマン著、キネマ旬報社、95年刊のインタビュー集)の中でこんな発言をしている。


 「(ああいう構成を)いつかやってみたかった。だから、この映画を作っている途中でとにかく試したくなった」。ディケンズのように英国文学を思わせますね、という問いに対しては「そうだね。それを狙った」とも答える。短編集も何冊か出版しているアレンとしては、<小説的な構成>を意識した作品なのだろう。



『ハンナとその姉妹』(c)Photofest / Getty Images


 ただ、改めて見直すと、スタンダップ・コメディアンだったアレンのシニカルなジョーク集にも見える。コメディアン時代の彼はトークだけのアルバムも出していて、あの鼻にかかった独特の声でシニカル&シュールなジョークを連発していたからだ。


 映画の最初のキャプションは「ああ、彼女はなんてきれいなんだ……」。『ハンナとその姉妹』がコメディのスケッチなら、冒頭に登場するエリット(マイケル・ケイン)のセリフをアレンジして、アレンはこんな風に舞台で一人語りを始めるだろう。


 「僕はね、最近、理想の女性を見つけたんです。リーという名前でね。瞳がきれいで、セーター姿がとってもセクシーで。感謝祭のパーティで見た時、思わず近寄って、抱きしめたくなりました。でも、もうひとりの僕が言うんです。おいおい、バカはやめろよ。リーはお前の女房の妹だろう! 確かに……。でも、気持ちを抑えられないんです」


 それぞれのキャプションはコメディ・スケッチのタイトルにも思え、アレンのトークが聞こえてくるような気がした。


 一方、3人姉妹が出てくるところは70年代のアレンの初のシリアス作品、『インテリア』(78)と同じだし、彼の好きな劇作家チェーホフの「三人姉妹」も意識しているように思えた。ハンナ(ミア・ファロー)の2番目の夫エリオットが、ハンナの妹リーにE.E.カミングズの詩集を贈り、その詩に愛の気持ちを託すところは文学的だ。


 スタンダップ的なジョークと文学趣味。それが合体することで『ハンナとその姉妹』は親しみやすさと小説的な奥行きの両方が感じられる作品になっている。



PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. ハンナとその姉妹
  4. 『ハンナとその姉妹』人生は無意味である。それは人間が到達した究極の結論である。