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『マティアス&マキシム』驚くほど王道で、純粋――感受性の天才グザヴィエ・ドランが到達した、回帰を超えた「逆行」

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『マティアス&マキシム』驚くほど王道で、純粋――感受性の天才グザヴィエ・ドランが到達した、回帰を超えた「逆行」

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『マティアス&マキシム』あらすじ

30歳のマティアス(ガブリエル・ダルメイダ・フレイタス)とマキシム(グザヴィエ・ドラン)は幼馴染。その日も一緒に仲間のパーティへ向かうが、そこで彼らを待ち受けていたのは友達の妹からの、あるお願い。彼女の撮る短編映画で男性同士のキスシーンを演じることになった二人だが、その偶然のキスをきっかけに秘めていた互いへの気持ちに気付き始める。美しい婚約者のいるマティアスは、思いもよらぬ相手へ芽生えた感情と衝動に戸惑いを隠せない。一方、マキシムはこれまでの友情が壊れてしまうことを恐れ、想いを告げずにオーストラリアへと旅立つ準備をしていた。迫る別れの日を目前に、二人は抑えることのできない本当の想いを確かめようとするのだがー。


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グザヴィエ・ドラン、その“不変”の感受性



 この感情を認めれば、きっと全てが変わってしまうだろう。

 だが、もう遅い。僕らは、あの夜からとっくに想っていた。


 グザヴィエ・ドランは、天才だ――。この評価はもはや、彼を語るうえでは規定値といえる。むしろ重要なのは、「ドランは“何の”天才なのか?」というところ。


 あくまで私見だが、彼は「感受性の天才」ではないか。ここまで作品ごとに思考と嗜好、成長が如実に反映されるクリエイターも珍しい。つまりドランは、映画界の未来を背負った世界的な若手監督でありながら、感受性が“純”であり続けているのだ。


 通常であれば、映画監督はキャリアを積むほどに“馴れ”との闘いになり、初期作のようには作れなくなっていくもの。観る者にとっても、「完成度は増したが、昔のような不安定な繊細さはなくなってしまった」と感じられる場合が多い。それはある種の順調な成長曲線であるともいえるし、クリエイターは総じてそのような道をたどっていくものだ。


 未熟であることの、功罪とでも言おうか。発展途上がゆえの整わなさが目立つ一方で、「若いからこそできた」表現――むき出しの個性が、観る者に強く訴えかける。その2つを隠さず提示することで、映画監督は鮮烈なデビューを飾る。そして作品を経るごとに描く内容は分厚く、対照的に筆致の“揺らぎ”は薄くなっていく。


『マティアス&マキシム』予告


 ただし、ドランはこの点において、きわめて異質だ。彼の作品は、初期作から最新作『マティアス&マキシム』(19)に至るまで、徹底的にピュア。繊細かつ不安定で、感情を正直にぶつけてくる。「自分がそのまま出るタイプ」のクリエイターでありつつ、その源泉である“自分”=作家性が、無垢な少年のように青い光を放ち続けているのだ。


 幼少期から芸能界で活躍し続けて、カンヌ国際映画祭をはじめ国際的に評価され、世界中の若者の憧れである人物にもかかわらず、ドランはまるで“落ち着く”ことがない。世界でたった1人のように孤独感をたたえ、愛されたいと訴え、好きな音楽や気に入った描写を次々と盛り込んでくる。不変の感受性――これこそが、誰も彼に追いつけない唯一無二の個性のような気さえする。


 最新監督作『マティアス&マキシム』でもって、このドランの特長は、より明確化された。ここからは作品の中身に沿いながら、彼が紡ぐ世界の尽きない魅力に、迫っていきたい。



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