1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. ゴーストバスターズ
  4. 『ゴーストバスターズ』初期段階で想定されていた、幻のメンバーとは一体誰?
『ゴーストバスターズ』初期段階で想定されていた、幻のメンバーとは一体誰?

(c)1984 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.

『ゴーストバスターズ』初期段階で想定されていた、幻のメンバーとは一体誰?

PAGES


即興劇団出身ならではの、絶妙な演技の応酬



 当時は70年代に産声をあげたTV番組「サタデー・ナイト・ライブ」の人気がうなぎのぼりで、また、ハーバード大学の学生らが創設した風刺コメディ雑誌「ナショナル・ランプーン」がラジオや舞台、テレビ、映画などにも進出を遂げ、多くのファンを獲得していた時代でもあった。そしてこれらのコメディ業界で活躍する優秀な人材を数多く輩出していたのが、シカゴに本拠地を持つ「セカンド・シティ」という即興劇団である。実はこの『ゴーストバスターズ』の主演3人、および初期メンバーとして想定されていたジョン・ベルーシさえもが、同じセカンド・シティ出身なのである。


 同じ劇団出身の彼ら3人は、まるで家族のように互いの性格や好き嫌いを知り尽くし、コメディアンとしての習性から「単純なものの中に、喜劇のきっかけを見つけて笑いに繋げる」ことにも長けていた。その上、初期段階のうちに「ハロルドは頭脳明晰」、「ダンは熱いハートの持ち主」、「ビルは口が達者」と3人の役割分担を行っていたのも功を奏した。こうやって基本設定を明確に定めていたからこそ、自分の領分をきちんと理解した上で、相手の良さを決して損なわず、互いにどんどん良質なアドリブを加えていくことが可能になったわけである。


 もちろん、アイヴァン・ライトマンも彼らのやり方を熟知したうってつけの監督だった。それゆえ、本番で彼らがいきなり台本にはないセリフをしゃべり始めたとしても、決してカメラを止めたりはしない。むしろ「もっと違うバージョンはある?」と何度もトライさせて、その度に笑い転げて演者のやる気を増幅させた。彼らのやり方を尊重し、コメディ俳優として敬意を表していたからこそ、3人はカメラの前で精一杯に感性を研ぎ澄ませて、抜群の瞬発力を発揮することができたのだ。


 また、ビル・マーレイに至っては「即興の天才」として他のメンバーからも一目置かれる存在で、脚本のセリフをどんどん変えて有機的な現場を作り上げていくのに貢献した。出番の前に行方不明になるなどの奇妙奇天烈なエピソードは今と変わらず。もしかするとこの人、実生活から既に即興芝居のように予測不能であることをモットーとしているのかもしれない。


 さらに3人の中にハロルド・ライミスがいたのも幸いだった。彼はいささか地味な存在ではあるものの、しかし自身が俳優のみならず脚本、監督も手がける才人であることから、常に一歩引いた立ち位置で俯瞰する目を持っていた。それゆえ、細かいところは彼がアイヴァンの代わりに役者陣をまとめながら、すべての流れがうまくいくように調整を加えていたのである。


 こうやって3人のコメディアンが揃うとなると、さぞや自分の見せ場をめぐって熾烈なせめぎ合いがあったものと勘ぐってしまう。だが、意外や意外、彼らは面白いセリフやアイディアを思いついたなら自分以外の誰かにその台詞を言わせるなど、気軽に見せ場を譲り合う精神に満ちていたという。これが即興芝居の真髄なのか、あるいはセカンド・シティの伝統なのか。メンバーが互いに引き立てあうことによって、最終的にみんなが、そして作品全体が面白く見えれば万々歳、という建設的なスタンスだったそうだ。



『ゴーストバスターズ』(c)1984 COLUMBIA PICTURES INDUSTRIES, INC. ALL RIGHTS RESERVED.


 このようにして織り成されていったあの絶妙な間合いと掛け合い、練り抜かれた名セリフ、そして数多くのアドリブたち。映画を何度も見直すと、様々な特殊技術や突飛なストーリーラインにも増して、やはり彼らの演技こそが全てのリズムを生み出す原動力であったことがよく見て取れる。おそらく今同じことをやれと言われても到底無理だろう。89年公開の続編でさえ、その効能はすでに薄れていた気がする。本作はまさに30代なかばの、最も芸が研ぎ澄まされ、最も脂の乗り切った時期の彼らだからこそ成し得た、宝石のような結果なのだ。



PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録

おすすめの
関連映画

  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. ゴーストバスターズ
  4. 『ゴーストバスターズ』初期段階で想定されていた、幻のメンバーとは一体誰?