1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 裸のランチ
  4. 『裸のランチ』クローネンバーグ流“変態”的世界の極みは、こうして生まれた!
『裸のランチ』クローネンバーグ流“変態”的世界の極みは、こうして生まれた!

NAKED LUNCH Copyright(c) 1991 Recorded Picture Company (Productions) Limited Naked Lunch Productions Limited

『裸のランチ』クローネンバーグ流“変態”的世界の極みは、こうして生まれた!

PAGES


シュールな名著のビジュアル化に挑む



 まずは、バロウズによる原作をおさらい。小説「裸のランチ」は1959年に発表され、ジャック・ケルアックの「路上」と並ぶビート文学の最高峰と称賛された。バロウズの小説はビート作家の作品の中でも、とりわけドラッグによる影響が色濃いが『裸のランチ』も例外ではなく、シュールなイメージの羅列で、登場するたくさんのキャラクターにドラマがあたえられることはほとんどない。つまり、ストーリーらしいストーリーがないのだ。映画化が困難であるのも容易に想像できるだろう。


 それでも映画化にトライしようとする動きはあった。バロウズによると、1970年に彼の友人の映像作家たちがバーレスク風の音楽を用いた作品にしようと試みたというが、うまくいかずに頓挫。一方、カリスマ的なミュージシャン、フランク・ザッパはブロードウェイのミュージカルとして『裸のランチ』を上演するというアイデアを提案してきたが、こちらも実現には至らなかった。



『裸のランチ』NAKED LUNCH Copyright(c) 1991 Recorded Picture Company (Productions) Limited Naked Lunch Productions Limited


 クローネンバーグはもちろん原作のファンで、その映画化は恐れ多いと考えていた。しかし、たまたまインタビューで、“『裸のランチ』を映画化したい”と言ったことから、それが噂として業界内に広まり、1984年にプロデューサーのジェレミー・トーマスと出会ったことで、一気に企画が動き出す。クローネンバーグとトーマスはバロウズとともに、「裸のランチ」の執筆に影響をあたえたモロッコ、タンジールに飛び、そこで映画化のアイデアを練ることになった。


 その後、クローネンバーグは『ザ・フライ』などの別の企画に取りかかったため、『裸のランチ』のプロジェクトはしばらく棚上げされる。トーマスはその間に、同じモロッコを舞台にした『シェルタリング・スカイ』(90)を、ベルナルド・ベルトルッチ監督と作ることになる。



PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. 映画
  3. 裸のランチ
  4. 『裸のランチ』クローネンバーグ流“変態”的世界の極みは、こうして生まれた!