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『JFK』仕組まれたバッシング、オリバー・ストーンが挑んだケネディ暗殺事件 中編

(C)2016 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.

『JFK』仕組まれたバッシング、オリバー・ストーンが挑んだケネディ暗殺事件 中編

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O・ストーンがケネディ暗殺映画妨害に関与?



 オリバー・ストーンの反論が「ワシントン・ポスト」に掲載されてから6日後、今度は1991年6月10日付の「タイム」がその論争を取り上げた。双方の見解を記した上で、「しかし、ストーンは同じことをしようと望む他の者に対してはあまり寛容さを持ち合わせていないようだ」と、ケネディ暗殺事件を題材にした別の映画への妨害工作をストーンが行っていると暴露した。


 それは、リー・ハーヴェイ・オズワルドを主人公にしたドン・デリーロ原作のベストセラー小説『リブラ 時の秤』(真野明裕 訳/文藝春秋)の映画化プロジェクトにまつわるスキャンダルだった。


 1988年に出版された同書は、『JFK』よりも先行して映画化企画が進んでおり、ハリウッドでも脚本が売りに出されていた。ストーンは「あれとはまったく無関係だったし、ズッと後になるまで(脚本を)読んだこともなかった」(『オリバー・ストーン』)と主張し、7月1日付の「タイム」にも、「映画業界で私の知るかぎり――競合する映画会社の会長ですら――映画製作を阻止する権力を持つ人間はいない」と投書。自らの潔白を訴えたが、『リブラ』が奇妙な形で映画化中止に追い込まれていたのは事実だった。


 『JFK』がまだ脚本執筆中だった1990年秋、『リブラ』は順調に撮影準備が進んでいた。監督は当初、ジョナサン・デミが予定されていたが、やがて当時29歳の若手監督フィル・ジョアノーへと交代した。


『JFK』(C)2016 Twentieth Century Fox Home Entertainment LLC. All Rights Reserved.


 この時期、ストーンは彼と会う必要があった。プロデュース予定の映画(パナマの独裁政権マヌエル・ノリエガを描く企画)の監督候補にジョアノーが挙がっていたのだ。彼がストーンのオフィスへやって来ると、たちまち『リブラ』と『JFK』の話になった。ストーンによれば、「本当にリー・ハーヴェイ・オズワルドの単独犯と思っているのか?」 と問いかけると、ジョアノーは、「おそらくそうだろうと思う」と答えつつ、脚本にはあまりノレないと話したという。その後、ストーンのもとへ、ジョアノーから『リブラ』の脚本が送られてきた。優れた脚本家でもあり、ケネディ暗殺事件の資料を読み込んでいるストーンの意見を聞きたかったようだ。


 2人の会談から程なくして、ジョアノーは『リブラ』の監督を降板した。その理由を、「最初に送られた脚本を読んで面白いと思ったが、リライトされたものを読むと、この映画は自分には向いていないと感じた」と語った。ストーンから圧力をかけられたという噂が飛び交ったときは、そんな話は大げさであると一笑に付した。


 しかし、ストーンから直接ではなく、間接的な方法を用いて妨害が行われたという証言もある。『リブラ』の製作会社によると、出演オファーをしていた俳優たちが、それまでは契約に前向きだったにもかかわらず、あるときを境に、出演を断ってきたという。その原因は、ストーンの代理事務所から出演者に対して、出演するとキャリアのマイナスになると警告されたことに恐れをなしたのだと関係者は主張する。


 さらにもう1本、ケネディ暗殺関連の映画でも同様のトラブルが起きていた。オズワルドを殺害した男を主人公にした『ジャック・ルビー』(92)では、ダラスでの撮影や『JFK』出演者へのオファーに対してストーン側から妨害行為があったという。


『ジャック・ルビー』予告


 ストーンは、それは事実と全く逆であると主張する。同時期に同じロケ地で、かすめ取るように撮影しようとする『ジャック・ルビー』には、「ダラスの至る場所でわれわれを悩ませた」(『JFK ケネディ暗殺の真相を追って』)と反論し、「連中は、俺たちのセットで写真をとって、俺たちが映画をつぶしたって言ったんだぜ。とんでもない話さ」(『オリバー・ストーン』)と意に介さない。


 それぞれの主張は真っ向から対立しているが、実際のところ『JFK』の製作にあたって、ストーンは競合作に対して妨害を行ったのだろうか?


 ここでハリウッドの歴史をふりかえれば、いつの時代も、映画会社同士で似た企画が重なったときは、〈競作か、中止か〉の二択しかなかった。実際、そうした理由で埋もれていった企画は無数に存在する。ストーンも、「俺だって、ほかの人間に先をこされたんで、やれなかったプロジェクトがたくさんある」(『オリバー・ストーン』)と語る。しかし、だからこそ類似企画が同時期公開されるのは避けたかったのではないだろうか。『エスクァイア』(91年11月号)は、彼の友人脚本家の証言として、「『競合する作品が作られるのはうれしくない』と言いさえすれば、彼はもう何も語る必要がないのだ」という言葉を紹介している。


 とはいえ、『ジャック・ルビー』は『JFK』から3か月遅れで公開されている。一方の『リブラ』が製作中止になった理由は、ストーンを疑うよりも、完成後にケーブルテレビ局HBOで初放送する権利と引き換えに製作費を引き出そうという交渉が不首尾に終わったことが原因と考えられる。


 その件について、HBO副社長ロバート・クーパーは、『リブラ』の製作を検討していた事実を認め、「ワーナー・ブラザースが12月に『JFK』の公開を予定していると聞いて、競合するのは愚かしいと気づいた」と語っている。これは競作するぐらいなら中止というハリウッドの論理である。


 ただし、HBOがワーナー・ブラザースを筆頭とするワーナー・メディアの傘下にあることを踏まえれば、額面通りに受け取るわけにはいかない。なにせ『JFK』の製作はワーナー・ブラザースなのである。


 結局のところ、陰謀とされるものの実体は、複数の思惑と忖度が重なり合うことで醸成されることが少なくない。『リブラ』の製作中止を誰よりも喜んだのは、『JFK』の原点というべき秀作『ダラスの熱い日』(73)にすら無視を決め込んだオリバー・ストーンであることは間違いないだろうが、彼に他人の映画を中止させる権力がないことは、問題なく公開された『ジャック・ルビー』が立証している。




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