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『トキワ荘の青春』伝説のアパートを舞台に描く若き漫画家たちの光と影(後編・撮影編)

©1995/2020 Culture Entertainment Co., Ltd

『トキワ荘の青春』伝説のアパートを舞台に描く若き漫画家たちの光と影(後編・撮影編)

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昭和30年代を再現した素朴な手法とロケーション



 過去を舞台にした映画を作るのが難しい理由は、室内などはセットでどうにか出来たとしても、町並みを広く映し出すのは、まず無理だからである。ミニチュアを使う手もあるが、これも予算がないと難しい。『トキワ荘の青春』と近い時代を舞台にした『Always 三丁目の夕日』シリーズ(05〜12年)のように、VFXを駆使すればスケールのある再現が可能だが、本作が作られた1990年代半ばではそうはいかない。ハリウッドの大作映画にようやくCGが本格的に使われ始めた頃で、日本映画ではメジャー映画でも数カット使用できれば良い方だった。


 当時の日本映画界で数少ないヒットメーカーだった伊丹十三監督も、この時期に昭和30年前後を舞台にした映画を企画していた。あさま山荘事件などの指揮にあたった元内閣官房内閣安全保障室長・佐々淳行が自らの体験を基に記した『 佐々警部補パトロール日記 目黒警察署物語』(佐々淳行 著/文春文庫)を映画化しようという構想で、昭和29年に目黒警察署で第一歩を踏み出した新人警官の物語である。昭和29年といえば、藤子不二雄がトキワ荘に入居した時期と重なるが、残念ながら映画化は中止となった。この時代の町並みを再現するには壮大なオープンセットを作るしか方法がなく、ヒットメーカーの伊丹をもってしても、実現不可能だった。


 余談だが、市川準と伊丹十三は似た境遇を持っている。映画を撮る前にはCMの制作に携わり(伊丹は俳優だけでなく、エッセイスト、CM、テレビドキュメンタリーの制作にも関わっていた)、その突飛な内容のCMが話題を集めたことも共通する。


 監督した映画だけを比較すれば、両者は対照的な作風にも思えるが、実は映画でも共通項は多い。例えば、終末医療をテーマにしたベストセラー『病院で死ぬということ』を読んだことで伊丹は『大病人』(93)の企画を発想し、原作にするつもりだったが、既に市川による映画化が進んでいたために、参考として取り入れるにとどまった。


 小劇団の芝居を丹念に見ていた市川は、三谷幸喜にも早くから注目し、後に自らが企画して『竜馬の妻とその夫と愛人』(02)を映画化したが、伊丹も三谷の才能に早くから注目しており、『マルタイの女』(97)の原型となる脚本を三谷に書かせたこともある。


 冒頭に記した『三丁目の夕日』にしても、市川は山崎貴が映画化する遥か以前に、志村けん主演で実写化を企画したことがあったというから、伊丹十三と市川準が共に、昭和30年前後の映画を企画していたという事実は、興味が尽きない。


『Always 三丁目の夕日』予告


 話を『トキワ荘の青春』にもどすと、市川が昭和30年代を再現するために用いたのは、〈写真〉と〈歌〉だった。


 劇中、木村伊兵衛と田沼武能が当時の東京の町並みを撮った写真が随所に挿入されている(大半は木村の写真である)。街の遠景から、路地裏で遊ぶ子どもたちなど、時代の空気が漂ってくるような写真ばかりだが、これは市川がフランソワ・トリュフォーの『突然炎のごとく』(62)でニュースフィルムが劇中に挿入されていたことを思い出して用いた手法で、「窮余の策で入れたのではなくて、もっと積極的な意味で入れたつもり」(『キネマ旬報』(96年4月上旬号)だった。しかし、写真を多用することは、映画の流れが止まると思われたのか、最後まで周囲でも反対が多かったという。実際に映画を観れば、1枚1枚の写真が映画の世界観に広がりをもたらす効果のあることが分かるはずだ。


 もうひとつ、印象深く時代感を出すのが〈歌〉である。冒頭の霧島昇が唄う『胸の振子』に始まり、灰田勝彦の『燦めく星座』『東京の屋根の下』などのメロディが味わい深く流れる。もっとも、これらの歌は当時の最新流行歌ではない。『胸の振子』は1947年、『東京の屋根の下』は1948年の曲だ。舞台となる時代とは、7〜8年のずれがあるが、戦後間もない時代を表現するのに判で押したように『リンゴの唄』が流れる安易さに比べると、当時の人々へ浸透した馴染みの歌を選曲する本作は、「歌は世につれ世は歌につれ」を見事に体現している。


 とはいえ、写真と歌だけに頼っていたわけではない。かすかに残されたあの頃の東京の匂いを残す場所を、ほんの少しずつすくい取って画面に反映させている点も見逃せない。主なロケ地を見てみよう。


 象徴的に繰り返し登場する、人気のない長い階段が続く道は、文京区の庚申坂。奥に続くガードの上には丸ノ内線が走っているが、上手くフレームを切って電車が画面に入らないようにしている。


『トキワ荘の青春』©1995/2020 Culture Entertainment Co., Ltd


 『漫画少年』を出版していた学童社の編集部は勝どきにあった水産研究所跡地でロケーションされた。芳文社の編集部に見立てて撮影されたのは江東区の食糧ビルディング。いずれも雑然とした編集部の雰囲気を見事に作り出した美術が素晴らしい。バブル時代を経て、90年代半ばまで奇跡的に生き残ったこうした近代建築たちも、今はもう跡形もなく姿を消している。


 寺田ヒロオと赤塚不二夫が話す喫茶店は、早稲田にあった純喫茶エデン。つげ義春と赤塚が食事する食堂は、浅草の五重塔通り商店街にあった大衆食堂。寺田が友人漫画家の棚下照生の部屋を訪ねるシーンは、1953年に開店した銀座の割烹むとうの2階を使用している(現在は建て替えられ、日本料理むとうに店名変更)。


 寺田が仲間たちと野球をする河川敷は、世田谷区宇奈根2丁目の多摩川河川敷。ここには基礎部分がレンガ積みになっている鉄塔がある。


 ほんのわずかに昭和30年代の匂いが残る場所を都内で探し出し、写真と歌と、細部にこだわったセットを重ね合わせることで時代の空気を作り出す。『トキワ荘の青春』は、アナログな手法で映画ならではの味わいを感じることが出来る最後の時代の作品でもある。




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