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『ブエノスアイレス』撮りながら方向性が変わっていく、ウォン・カーウァイのひとつの境地

© 1997, 2008 Block 2 Pictures Inc. All Rights Reserved.

『ブエノスアイレス』撮りながら方向性が変わっていく、ウォン・カーウァイのひとつの境地

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後の作品に受け継がれた名曲



 そしてウォン・カーウァイの流動的映画作りが最も効果を発揮される要素といえば、音楽である。彼自身、MTVからの影響を公言しているように、感覚的につながれた映像と、使われる曲のコラボレーションが起こす化学反応は、他の監督の追随を許さない異様なレベルである。『恋する惑星』における「夢中人」(クランベリーズ「ドリームス」のフェイ・ウォンによるカバー)や「夢のカリフォルニア」、『天使の涙』における「オンリー・ユー」などは、その最たる成功例だ。


 『ブエノスアイレス』でも、撮影で現地へ向かう飛行機の中で、カーウァイは南米のアーティスト曲を聴きまくったという。そこからセレクトされ、作品の多くのシーンで流れるのは、アルゼンチンのバンドネオン奏者、アストル・ピアソラのタンゴの曲で、この曲調は男たちの哀切な愛の運命にあまりにぴったりだが、もうひとつ、『ブエノスアイレス』を象徴する曲が、カエターノ・ヴェローゾの「ククルクク・パロマ」である。


『ブエノスアイレス』冒頭


 作品の冒頭、ファイとウィンが目指す、アルゼンチンとブラジアの国境にあるイグアスの滝。その巨大な瀑布の空撮に、この「ククルクク・パロマ」の優しい調べが、なんと美しくハマっていることか! 意外なほど短いシーンだが、『ブエノスアイレス』を観た多くの人が記憶にとどめてしまう。そんな魔力が、このシーンには潜んでいる。愛する人を失った男が、死んで鳩になったという歌詞で、「ククルクク」とは鳩の鳴き声。その後、ファイがたどる運命を暗示しているかのようだ。


 「ククルクク・パロマ」は、ペドロ・アルモドバル監督の『トーク・トゥ・ハー』(02)でも使われた。カエターノ・ヴェローゾ本人が登場し、歌い上げるのだ。愛する人が昏睡状態になった物語なので、この選曲も納得できる。アルモドバルはこの曲の使用に関して『ブエノスアイレス』には言及していないものの、その後、またも「ククルクク・パロマ」が流れた作品がある。アカデミー賞作品賞に輝いた『ムーンライト』(16)だ。


 主人公のシャロンが、想いを募らせるかつての同級生ケヴィンに再会するため、旅立つシーンで流れるが、監督のバリー・ジェンキンスは、この選曲が『ブエノスアイレス』へのオマージュだと明言している。『ムーンライト』には他にも、男2人のカットなどに『ブエノスアイレス』からの影響が散見される。いずれにしても、「ククルクク・パロマ」と映画の相性は絶大であり、それを後の作品にも証明させたウォン・カーウァイのこの時代のセンスは、やはり尋常ではなかった。 



 『ブエノスアイレス』© 1997, 2008 Block 2 Pictures Inc. All Rights Reserved.


 ちなみに『ブエノスアイレス』のラストシーンに流れる「ハッピー・トゥゲザー」(1967年のタートルズの曲をダニー・チョンがカバー)は、本作の英語タイトルにもなっている(原題の「春光乍洩」も「春の光が訪れたばかり」と、似たような意味)。ここでもやはり、映像と曲の相乗効果がハイレベルだ。


 「ククルクク・パロマ」を重ねれば、ブエノスアイレスを離れ、台北を経て香港へ戻っていくファイの姿は、恋人を思って旅立った鳩のようでもある。「会いたいと思えば、いつでも会えるのだ」というセリフは、彼がようやく到達したひとつの境地だった。


 この『ブエノスアイレス』の6年後に、レスリー・チャンは自らの意思で世を去る。ファイのこのセリフを時を経て噛みしめると、別の意味で切ない思いにかられるのも事実である。



文:斉藤博昭

1997年にフリーとなり、映画誌、劇場パンフレット、映画サイトなどさまざまな媒体に映画レビュー、インタビュー記事を寄稿。Yahoo!ニュースでコラムを随時更新中。 



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