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『黒い十人の女』を甦らせた渋谷系映画とは?

(C) KADOKAWA 1961

『黒い十人の女』を甦らせた渋谷系映画とは?

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数々の名作を甦らせた渋谷系映画



 こうした幻の映画が、ごく稀に顔を出す時がある。例えば、国立近代美術館フィルムセンターが所蔵するフィルムの中には、映画会社が上映プリントを持っていない作品が含まれているので、細かく上映をチェックしていると、思わぬ作品にめぐり会うことがある。実際、『黒い十人の女』もそんな1本として、脚本を書いた和田夏十を追悼して1983年にフィルムセンターで上映された。


 この時に本作を発見したのが、まだピチカート・ファイヴを結成する前の小西康陽だった。以来、ことあるごとに小西は本作を推し、1986年に発売されたコンピレーション・アルバム『別天地』に小西はYOUNG ODEON名義で、その名もズバリ『黒い十人の女』という楽曲を提供したほど。


 それから更に歳月を経て、『黒い十人の女』はピチカート・ファイヴPresentsで甦ることになったが、そこには、90年代の映画をめぐる状況が関係してくる。


 現在の六本木ヒルズが建つ場所には、かつて映像・音楽メディアを扱う六本木WAVEがあった。地上7階のビルで、1~4階が音楽ショップ、その上はスタジオが入っていた。地下にはアート系映画を上映するミニシアターがあった。シネ・ヴィヴィアン・六本木である。


 この劇場で、1991年にピチカート・ファイヴ+ザ・コレクターズPRESENTSによる『ナック』(65年)のリヴァイヴァル上映が行われてヒットしたことから、以降、60年代の隠れた名作を、従来の映画史上の名作という括りだけでなく、そこで使われる音楽、劇中のファッション、映像といった視点から観る若い観客が増えていった。やがて若者文化の中心が六本木から渋谷へ移行したのに合わせるように、シネセゾン渋谷をはじめとする渋谷のミニシアターで、『バーバレラ』(68年)、『砂丘』(70年)『黄金の七人』(65年)や、ゴダールなどの60年代の作品が次々とリヴァイヴァルされるようになった。そして、時期を同じくして、浸透した言葉が〈渋谷系〉である。


 渋谷系とは、「九三年頃、HMV渋谷店のバイヤーだった太田浩がリコメンドしていた邦楽アーティストや、宇田川町の小さなレコードショップに足繁く通う音楽マニアが愛好していた日本のインディー・レーベル所属のアーティストを総称するカテゴリー」(『渋谷音楽図鑑』牧村憲一・藤井丈司・柴那典 著/太田出版)と定義されているが、渋谷系アーティストと目されていたピチカート・ファイヴの小西康陽や、カヒミ・カリィらが映画にも精通していたことから、音楽にとどまらず、渋谷系のミュージシャンや、そのリスナーが好む映画を、〈渋谷系映画〉と括ることがあった。


 公開当時はそれほど評価が高くなかった作品や理解されなかった作品を、内容やテーマから解放する鑑賞スタイルは、音楽ファンをはじめ、従来の映画ファン以外の観客を集めた。実際、凝ったデザインのパンフレットに、サウンドトラック、ファッションブランドとコラボしたTシャツ、トートバッグなどの関連商品が劇場の売店で飛ぶように売れたのも、そうした理由からである。



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