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『ダイヤルMを廻せ!』ヒッチコックは意外にも新技術好きだった!?

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『ダイヤルMを廻せ!』ヒッチコックは意外にも新技術好きだった!?

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ヒッチコックはどうやって技術的知識を身に付けたのか



 そうは言っても「ヒッチコックはあくまで監督であって、技術に関しては無知なのでは?」と考える人もいるだろう。だがそれはまったく違う。彼は、海洋技術専門学校で電気工学や音響学を学び、W・T・ヘンリー電信会社で働きながら、ロンドン大学の美術学科で絵を勉強する。


 やがて映画に興味を持ち、フェイマス・プレイヤーズ・ラスキーのロンドン支社に入社し、サイレント映画のタイトルデザインを担当した。その後、グレアム・カッツ監督の下で働くが、脚本・台詞・助監督だけのはずが美術も兼任することになり、時には編集にも携わる。こうした駆出し時代の経験で、映画制作の様々な工程を身に付けることになった。(9)


 また、ヒッチコックがポスト・プロダクション工程まで完全に熟知していた証拠として、彼自身が1968年に執筆したエッセイ「鳥だ、飛行機だ、あ…『鳥』だ」(*8)が挙げられる。この文章には、『』の視覚効果におけるオプチカル・プリンターやナトリウム・プロセス、マットペインティング、ロトスコーピングなどの手順が詳細に解説されていた。


 また、『鳥』の視覚効果を手掛けたアルバート・ウィットロックは、「一緒に仕事をした監督の中で、ヒッチコックはずば抜けて素晴らしかった。マットペインティング1つにしても、なぜ必要なのかを説明できるんだ」(10)と評しており、彼の技術面における知識の深さが実感させられる。現在で言えば、ジョージ・ルーカスやジェームズ・キャメロンのような人物に例えられよう。


*8 「ヒッチコック映画自身 リュミエール叢書32」(9)に掲載。初出は「Take One」Vol.1, No.10 (1968)の「It’s a Bird, It’s a Plane, It’s…The Birds」。



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