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『つぐない』の伝説的ワンカット撮影が描き出す5分6秒の内面世界

Film (C) 2007 Universal Studios. All Rights Reserved.

『つぐない』の伝説的ワンカット撮影が描き出す5分6秒の内面世界

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そしてカメラが回り始める・・・



 ではこのダンケルクのシーンでは何が刻まれているのか。まずは『つぐない』を身近なデバイスで鑑賞できる人は本編の「1時間4分30秒」を過ぎたあたりに合わせてみてほしい。そこでは兵士たちが潮の香りを感じて草むらをかき分け、丘を駆け上ると、「まるで聖書の世界だ」と呟くほどの圧巻の絵図が映し出される。


 長回しはその直後から始まる。動員されたのは1,000人に及ぶロケ地、レッドカー(英国ヨークシャーの海辺の町)の住民たち。ポーランドの業者から取り寄せたという1,000着の軍服に身を包み、その一人一人がたった5分間のために真剣勝負を挑んでいる。


 撮影された日は、午後まで陽光があまり射さないという予報だった。光量が十分でないと映像も鮮明さに欠けるものとなる。果たして夕方までに十分な日差しを得られるだろうか。これは一つの賭けだ。参加者は全員、午前6時に集合し、入念なリハーサルを重ねていった。


 午後6時。天候が持ち直した。陽光もこれなら大丈夫との判断。「よし、行こう!」とカメラが回り始める。最初はジェームズ・マカヴォイらが会話をしながら砂浜を歩く様をカートで並走しながら、そして中盤からはそれを降りて、自分の足で歩きながらキャストの動きを映し撮る。その真横で馬が次々と銃殺されるシーンは、サーカスの馬を使って調教師の合図でサッと横たわらせたとのこと。



『つぐない』Film (C) 2007 Universal Studios. All Rights Reserved. 


 そこからはもはや壮大な詩の世界のようだ。あらゆる兵士たちの様子に、それぞれの人生が、それぞれの生命が息づいている。喧嘩する者。呑んだくれる者。焚き火にあたる者。足を抱えてうなだれる者。海に向かって聖歌を合唱する人々———。そうしている最中、カメラは不意に、主人公の視点と一体化して彷徨いはじめる。ライト監督もこれを「視点ショット」と表現しているが、私にはあたかも傷ついた魂がしばし肉体から離れて、あたりを浮遊しているようにさえ感じられたほどだ。


 なおもワンカットは終わらない。遠くの観覧車はふざけた兵士がぶら下がったまま、ゆっくりと回転していく。そばを馬の群れが走り抜ける。兵士が隊列を組んで通りを横切る。遊具に身を委ねた者たちが子供のようにはしゃいでいる。そこでカメラマンは歩みをやめ、今度はスタッフが引く荷車に乗り込んで、移動しながらマカヴォイたちの動きを前方から撮る。最後にもう一度、テラス越しに浜辺の全景が映し出され、5分間に及ぶ長い旅路はようやく幕を閉じる。


 DVDのコメンタリーによると、ジョー・ライト監督は「このシーンでは馬や機械や人の命といったものがすべて無駄に使われている。戦争というものがいかに無駄で無意味なものなのかを表現した」のだそうだ。また、プロデューサーの一人は「ダンケルクの戦いは、英雄的な戦略的撤退だと信じられている。だが実際に広がっているのは無秩序な混沌だ。規律は破られ、人は死に、物や機械は壊される。これは完全なる退却だった」とも語っている。


 だが重要なのは、何もダンケルクの戦いを正確に描くことではなく、この広大で無秩序な混沌が、まさにジェームズ・マカヴォイ演じるロビーの心象風景や精神状態とも繋がっているということだ。


 心と体に深い傷を負いながら、今にも崩れ落ちそうな状態でようやくたどり着いた、この世の果て。そこには戦争を超えて、まさに生の死の狭間、あの世とこの世の狭間にも思える風景が広がっている。我々の目にどうしようもなく涙がこみ上げるのは、これまでグッと押しとどめられてきた彼の“思い”が、いま切れ目なき怒涛の情景となって流れ込み、その悲しみ、寂しさ、混沌、絶望、無情に心底圧倒されるからだ。


 「いかに内面を描くか」という命題から逃げず、時に繊細に、時に壮大にその答えを追い求めた本作。製作から10年以上が経つのに、未だこれほど人の心を突き動かす作品も珍しい。ここで挙げたミンゲラのこと、5分6秒のシークエンスはほんの一例にすぎないが、こういった様々な要素一つ一つが響き合い、この映画を原作以上の名作として神々しく輝かせているのではないだろうか。



文: 牛津厚信 USHIZU ATSUNOBU

1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンⅡ』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。



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作品情報を見る




『つぐない』

Blu-ray:1,886円+税/DVD:1,429円+税

発売元:NBCユニバーサル・エンターテイメント

Film (C) 2007 Universal Studios. All Rights Reserved. 

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