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『ザ・バニシング -消失-』観客に委ねられる真の恐怖と不安とは

(c) 1988, Argos Film, Golden Egg, Ingrid Productions, MGS Film, Movie Visions. Studiocanal All rights reserved.

『ザ・バニシング -消失-』観客に委ねられる真の恐怖と不安とは

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ヒッチコック監督も使ったサスペンス演出



 これは「サスペンスの神様」と呼ばれるアルフレッド・ヒッチコック監督が自作によく用いていた演出である。『サイコ』(60)では、ある人物が卑劣な犯罪の証拠を消すため、被害者の車を沼地に沈めようとするシーンがある。そこでは順調に沼の中に沈んでいく様子が映し出されるが、全体が沈もうとする途中で、その動きは止まってしまう。車の屋根が水面から飛び出ているのが丸見えなのだ。このままでは、すぐに警察に見つかることになるだろう。観客の多くはここでハラハラドキドキし、車を沈めようとしている人物と同じように、「どうか沈んでくれ」と、思わず願ってしまう。


 これはよく考えると異様なことだ。一般的な倫理観を持つ観客ならば、犯罪が露見して犯人が捕まってほしいと考えるはずだ。なのにここでは、証拠を隠す人物の行動の方を応援してしまっている。これではまるで共犯者ではないか。たとえ行為自体に倫理的問題があろうと、巧みな演出や、人物の描写がしっかりとなされてさえすれば、一定の観客は映画のなかの主人公と心理を共有してしまうのである。



『ザ・バニシング -消失-』(c) 1988, Argos Film, Golden Egg, Ingrid Productions, MGS Film, Movie Visions. Studiocanal All rights reserved.


 それには、“リアリティ”も必要だ。本作でのレイモンの計画が現実的だと感じられるのは、手口を細かく具体的に描写していることはもちろん、彼がリスクを最小限に抑えようと知恵を絞っているところだ。レイモンは失敗ばかりとはいえ、なかなか違法な行為には踏み出さない。計画が成功すると確信するまでは、逮捕されるような行動は絶対にとらないのだ。もし一般的な観客が同様の計画を立てたとしても、やはり頭で思い描いたようにはうまくいかない場合が多いはずだし、レイモンのように、違法行為の手前で無様な醜態を何度もさらすことになるのではないか。


 ここまで具体的で真実味のある表現に到達するには、作り手自身が犯人になりきって計画を立ててみなければならないはずだ。多くのサイコ・サスペンス作品は、異常でない人物の視点から見た、異常な人物のおそろしさを描く。しかし、本作はそうではない。むしろその逆の表現によって、異常な人物の見る世界に、登場人物だけでなく、観客すらも巻き込んでいくのである。



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