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『荒野にて』 少年と馬の境遇が映し出したのは、現代の“アメリカ”

(c) The Bureau Film Company Limited, Channel Four Television Corporation and The British Film Institute 2017

『荒野にて』 少年と馬の境遇が映し出したのは、現代の“アメリカ”

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※2019年4月記事掲載時の情報です。


『荒野にて』あらすじ

チャーリー(チャーリー・プラマー)は15歳にして孤独だった。仕事を変えては転々と暮らす父親(トラヴィス・フィメル)と二人でポートランドに越してきたのだが、父は息子を愛しながらも自分の楽しみを優先していた。母親はチャーリーが赤ん坊の頃に出て行ったので、もちろん覚えていない。以前はマージー伯母さん(アリソン・エリオット)が何かと面倒を見てくれたが、チャーリーが12歳の時に父と伯母さんが大ゲンカをしてしまい、以来すっかり疎遠になった。チャーリーは寂しくなると、伯母さんと一緒に写った写真を眺めるのだった。ある日、家の近くの競馬場で、デル(スティーヴ・ブシェミ)という厩舎のオーナーから競走馬リーン・オン・ピートの世話を頼まれたチャーリーは、食べ物も十分に買えない家計を助けるため引き受ける。素直で呑み込みが早く、馬を可愛がるチャーリーは、すぐにデルに気に入られた。その夜、チャーリーは男の罵声で目を覚ます。「女房と寝たろ!」と、以前父が家に泊めた女の夫が怒鳴り込んできたのだ。殴り飛ばされた父はガラス窓を突き破り、大ケガを負ってしまう。恐怖に立ちすくみ何も出来なかったチャーリーは、自らの非力さにショックを受けながらも手術を終えた父に「ごめん、助けてあげられなくて」と謝り、マージー伯母さんの電話番号を教えてほしいと頼むが、「人の 手は借りない」と跳ね付けられる。唯一の家族であり、予断の許されない状態の父の傍を離れるのは怖かったが、入院費を稼ぐためにピートの遠征に付き添うチャーリ ー。騎手のボニー(クロエ・セヴィニー)からは「馬を愛しちゃダメ。競走馬は勝たなきゃクビよ」と忠告されるが、今やピートはチャーリーが唯一心を許せる存在だった。翌日、仕事から病院へ戻ると父の姿がない。容体が急変して亡くなったという。引き取り手の居ないチャーリーを心配し、養護施設に連絡しようとする医師を振り切り、彼はピートの厩舎へと走る。だが、老いたピートの競走馬としての寿命も尽きかけていた。レースに惨敗したピートを、デルは売り払うと決める。それは殺処分を意味していた。今度こそ自分の手で友を助けると決意したチャーリーは、ピートを乗せたトラックを盗み、かつてマージー伯母さんの住んでいたワイオミングを目指して逃走する。やがてトラックがエンストを起こし、ピートを連れて荒野へと分け入るチャーリー。日中は黙々と歩き続け、夜には野宿し、父から聞いた母のこと、楽しかった学校生活やマージー伯母さんとの思い出をピートに語り続けるチャーリー。けれども現実は厳しく、チャーリーはあまりに非力だった。残酷にもチャーリーを襲う再びの別れ。チャーリーは孤独を抱きしめ、愛と居場所を求めてひたすら前へと進んでいくが一。



 長く連れ添った夫婦の心のすれ違いと関係の不確かさを描いたイギリス映画『さざなみ』(15)で注目を浴びたアンドリュー・ヘイ監督。彼は本作『荒野にて』では、アメリカを舞台に、十代の少年の孤独な境遇を映し出している。


 老いた競走馬とともに荒野を旅する少年の姿を追いながら、本作はアメリカの僻地に広がる自然の美しさと同時に、社会の片隅に吹き溜まる醜い現実が表現される。ここでは、そんな『荒野にて』が、ある少年の“純粋な目”を通して表現した、隠された“アメリカ”の姿について考えていきたい。


 『ゲティ家の身代金』(17)でも話題を呼び、人気が急上昇しているチャーリー・プラマーは、本作で第74回ヴェネチア国際映画祭の新人俳優賞にあたる「マルチェロ・マストロヤンニ賞」を受賞している。ここでの彼が演じる15歳の少年の役名も、“チャーリー”である。


Index


“男らしさ”からの脱出



 物心つく前に母親に捨てられた主人公チャーリーは、歳が近い不良の兄のような、精神的に大人に成長しきれていない父親と、各地を転々と渡り歩き、いまはアメリカ北西部のポートランドで、貧しく過酷な環境に置かれ学校にも通っていない状況。父親がたまにどこかの女性を家に連れ込むのも、チャーリーには慣れっこだ。そんなでたらめな親だが、ウェイトレスの口説き方を教えたりなど、彼なりのやり方で息子に愛情をかけているのも事実で、チャーリーはそんな父親とこれからも暮らすために、児童を保護しようとする各機関の目から逃れるように暮らしていた。


『荒野にて』予告


 勉強やクラブ活動をやることのない、いつも手持ち無沙汰なチャーリーが、ある日その辺をぶらぶらしていると、厩舎のオーナーであるデル(スティーヴ・ブシェミ)に声をかけられる。競走馬の面倒をみる手が足りてないので、チャーリーに馬の世話をしてほしいというのだ。その後、既婚女性との関係でトラブルを起こし、その夫に怪我を負わされ入院した父親の代わりに、チャーリーは馬を飼育し、日銭を稼ぐようになる。


 “馬の世話をする”という仕事に従事する姿は、非常に“アメリカ的”に見える。競走馬の飼育とは微妙に異なるが、牧場で牛や馬の世話をする牧童(カウボーイ)は、「旧き善きアメリカ」の象徴といえる存在だ。また、馬や牛を使ったレースやロデオ大会などのイベントというのは、一般的には保守的な価値観を持った人々が多く集まる場所として知られる。



『荒野にて』(c) The Bureau Film Company Limited, Channel Four Television Corporation and The British Film Institute 2017


 自分が世話をした競走馬ピートに愛着を持ったチャーリーは、ピートが殺処分になることを知って動揺し、命を助けてくれるように周囲の人間に頼み込む。だが、そんなチャーリーの懇願に耳を傾ける者はない。もはや利益を生み出さなくなった馬に、これ以上のコストをかけることは、経営者にとっては無駄でしかない。あくまで馬は馬だ……そう理解せねば、その業界で何年も生きていくことはできない。


 そういう精神的なたくましさ、もしくはある種の鈍感さを得ることが、ここで生きていくということなのだろう。そんなマッチョな姿勢を体現するのがデルであり、クロエ・セヴィニーが演じる騎手のボニーである。


 同じ時期、少年の最も大事な人物が息をひきとる。「現実」がもたらす理不尽によって死んでいく人や馬たち。チャーリーは、自分が何かアクションを起こせば、そのようなどうにもならない運命に抗うことができるのではないかと考えた。そして彼は馬とともに、ポートランドを脱出することにするのだ。



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