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ヒッチコック『裏窓』が奏でる多様な愛のハーモニー。単なる“覗き”映画などではない

(c)Photofest / Getty Images

ヒッチコック『裏窓』が奏でる多様な愛のハーモニー。単なる“覗き”映画などではない

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サスペンスとユーモアの裏側に編み込まれた「愛の物語」



 その一方、書籍「映画術」の中でトリュフォーはヒッチコックにこう問いかける。「あなたの当初の狙いは『純粋な映画的なテクニックに挑戦する』ということであったにせよ、やがて構想が膨らむに従って、裏窓の向こうに広がる光景はいつしか『世界のイメージそのもの』に成り得たのではないですか」(p.219)と。さらにトリュフォーは、主人公が覗き見る様々な人間模様がいずれも何かしら「愛」をテーマにしたものであることも指摘する。


 そう言われてみると、確かにそうだ。昼夜ブラインドを下ろしっぱなしでコトに励む新婚夫婦がいるかと思えば、一人ぼっちの孤独な女性、多くの男性にチヤホヤされる女性ダンサー、愛犬を我が子のように可愛がる中年夫婦、胸を打つメロディを奏でる音楽家など、あらゆる人々の日常生活に慈しみ深い「愛」が介在している。


 その上、「覗く側」のジェームズ・スチュアートにしても、彼はグレース・ケリー演じる恋人に結婚を迫られながら、そこに縛られたくないという思いに駆られている。そんな彼がこの112分足らずの中でどのように心境を変化させていくのか。この過程には愛のレッスンとでも呼びたくなるような構成があるし、頑なな彼の心を自ずと懐柔し、不可能を可能にしてくれるのは他ならぬ「覗かれる側」の住人たちである。



『裏窓』(c)Photofest / Getty Images


 また我々は、子犬を殺された中年夫婦が住民たちに対して「なぜ私たちは隣人同士なのに、これほど互いに無関心でいられるのか?」と涙ながらに訴える場面を忘れてはならないだろう。本作では、男女間の愛のみならず、社会や隣人同士の愛といったテーマすら投げかけられているのだ。この裏窓から覗く風景が「世界の集約」として浮かび上がる理由はそこにある。


 蛇足ながら、筆者は約20年ぶりに本作を見直してみて、以前見た時よりも自分の中の印象がだいぶ変わっていることに驚かされた。製作時からこれほどの年月の隔たりがあるにもかかわらず、描かれる題材がより身近で、切実なものに感じられたのだ。そこでふと気づいた。人々の営みが散りばめられた本作のアパートメントの光景は、我々が日頃インターネット上で接するSNSの「友人一覧」や「タイムライン」などにどこかよく似ている、と。


 時代を先取りしたとか、時代が追いついたとかではない。私たちはこうやっていつの時代でも、ヒッチコックの描いた世界をぐるぐると、ただひたすら回り続けているのかもしれない。



<引用・参考文献>

定本 映画術 ヒッチコック/トリュフォー」フランソワ・トリュフォー/山田宏一・蓮實重彦訳/1990/晶文社




文: 牛津厚信 USHIZU ATSUNOBU

1977年、長崎出身。3歳の頃、父親と『スーパーマンII』を観たのをきっかけに映画の魅力に取り憑かれる。明治大学を卒業後、映画放送専門チャンネル勤務を経て、映画ライターへ転身。現在、映画.com、EYESCREAM、リアルサウンド映画部などで執筆する他、マスコミ用プレスや劇場用プログラムへの寄稿も行っている。



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