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『アマンダと僕』日常が破壊された者たちに優しく寄り添う、ミカエル・アースの描くものとは。

(c)2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA

『アマンダと僕』日常が破壊された者たちに優しく寄り添う、ミカエル・アースの描くものとは。

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憂鬱に覆われた人や街に光を通す演出



 しかし、本作は政治的なテロリズムについて語る映画ではなく、ニュースにはならないような、テロ事件後のパリでの人々の生活を、個人的なレベルで見ようとする。事件そのものの描写は必要最低限に留めており、アースにはその恐怖を示唆するだけで十分だと理解する聡明さがあるのだ。


 事件は背景に退かせ、テロに映画全体を浸食させない。だからこそ、悲劇、あるいは実存的な問題を扱いながらも、陰気で重苦しい雰囲気やセンセーショナリズムを避け、あくまでも軽さを保とうとし続ける。これは、悲観主義とは袂を別つ『アマンダと僕』で図られている倫理である。



『アマンダと僕』(c)2018 NORD-OUEST FILMS – ARTE FRANCE CINÉMA


 撮影監督セバスチャン・ブシュマンは前作に引き続き、そよ風が吹き抜ける夏の街を16mmフィルムの荒い粒子で捉えている(ロンドンの場面のみ35mmフィルムで撮影された)。彼らは物語と季節にコントラストを効かせ、不在による憂鬱のなかに柔らかな光を照らすのである。同時に、アースが、ジョン・キャメロン・ミッチェル監督作『ラビット・ホール』(10)で心に残ったという、作曲家アントン・サンコーによる柔らかな伴奏が、心の時が止まった状態の人々や街を慈悲深く癒すように寄与してもいる。


 また劇中では、パリの街をダヴィッドが歩いたり、自転車に乗る場面が繰り返し描かれているが、それに関してアースは、「題材が重い部分もあるので、息を吹き込んで軽やかさを与えたり、リズム感を出したり、より観客が受け入れやすく、呼吸ができるような感情を与えたいと思った」と東京国際映画祭時に説明していた。メロディーを紡ぐように、『アマンダと僕』の物語は描かれていく。



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