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『エド・ウッド』“史上最低の映画監督”の監督作は本当に最低なのか?

(c)Photofest / Getty Images

『エド・ウッド』“史上最低の映画監督”の監督作は本当に最低なのか?

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『エド・ウッド』あらすじ

50年代のハリウッド。駆け出し監督エド・ウッドは自分の作品を作ってくれる配給会社を探しているときに往年の怪奇スターであるベラ・ルゴシと知り合う。年老いたルゴシはすっかり落ちぶれ、薬物に依存する生活を送っていた。子どもの頃から彼に憧れていたエド・ウッドは、ルゴシを自分の作品に出演させようと決心する。ルゴシを出演させることを条件に資金を調達し、監督デビューを飾るが……。



 『ショーシャンクの空に』(94)が公開当時あまりヒットせず、ビデオ化されてから徐々に高い評価を得たことはあまり知られていないだろう。また、今ではサイコスリラーの元祖として高い評価を得ている『狩人の夜』(55)も、公開当時はヒットせず。チャールズ・ロートンは以降監督業から離れていってしまった。


 これらの例からも解る通り、映画の評価とは絶対的なものでは無い。時勢や文脈に対し相対的に出されるものである。“史上最低の映画監督”として名高いエド・ウッドの評価もまた、あくまで時勢と文脈に対し相対的につけられたものである。


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エド・ウッドとは何者?



 本名エドワード・デイビス・ウッドJr. 。1924年。ニューヨーク、ポキプシー生まれ。第二次世界大戦には海兵隊員としてタラワの戦いなどに参加。終戦後。映画スタジオの使いっ走りから、持ち前のずうずうしさでガメつく売り込み映画監督に収まると、自分の趣味に走った作品や、流行りのSF映画を作るとウソをついて好きなホラー映画を作ってしまう。


 映画製作の現場では、場当たり的でいい加減。知識も無い。もちろん出来あがった映画も散々なもので、出資者やスタジオはもちろん、観客からそっぽを向かれてしまう。悪評がベットリこびりついたエド・ウッドに映画を撮らせようという酔狂なプロデューサーは絶え、仕事にあぶれてしまう。それでも映画から離れられず、低予算映画の脚本やポルノ小説を書いて僅かな報酬を得るも、酒に溺れてしまう。


 1978年。エド・ウッドはアルコール中毒でわずか54歳の生涯を終える。



『エド・ウッド』(c)Photofest / Getty Images


 その2年後。「ゴールデン・ターキー賞(The Golden Turkey Awards)」という本が出版される。『Rat Pfink&Boo Boo』(66)や『Mr.オセロマン/2つの顔を持つ男』(72)といったZ級映画にスポットを当て(バカにし)たり、ジョン・ギラーミン版の『キングコング』(76)やジョン・ウェインがジンギスカンを演じた『征服者』(56)を取り上げ(バカにす)るなど、歯に衣着せぬ物言いが人気となる。


 その本の中で「最低監督賞」「最低作品賞」にエド・ウッド監督と彼の作品『プラン9・フロム・アウタースペース』(59)が取り上げられ、そのあまりにあんまりな出来が話題を呼び、カルト化し、遂には監督の半生が映画化されてしまう。『エド・ウッド』(94)の誕生である。



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