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『麗しのサブリナ』ファンション・アイコンとしてのオードリー・ヘプバーンを生んだ、ジバンシィとの出会い

Copyright (C)1954 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. TM, (R) & Copyright (C) 2013 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.

『麗しのサブリナ』ファンション・アイコンとしてのオードリー・ヘプバーンを生んだ、ジバンシィとの出会い

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生涯の友人となる伝説のクチュリエ



 本作『麗しのサブリナ』におけるオードリー・ヘプバーンとジバンシィとの出会いは、ファッション・アイコンとしてのヘプバーンが誕生した瞬間だった。パリのクチュリエ、ユベール・ド・ジバンシィは、この当時、自分のメゾンを構えたばかりの26歳の青年だった(対して、この当時のヘプバーンは24歳)。ヨーロッパの気品あるオートクチュール界の新鋭ジバンシィは、サブリナの成長ぶりを服装だけで表現できる才能を持つ、未来を担うデザイナーだった。スタジオ側はヘプバーン本人をジバンシィのパリのメゾンへと直接向かわせた。


 ジバンシィは“ヘプバーン”と聞いて、あの大女優“キャサリン・ヘプバーン”を予想していたというが、実際に現われたのは、いまにも折れてしまいそうな華奢なスタイルの新米女優オードリー・ヘプバーンであった。ジバンシィは彼女に魅力を感じたというが、多忙を極める彼には、映画用のオーダーメイドを受ける時間は少しもなかったという。そこでジバンシィは、自身の前シーズンの既製品コレクションの中から、ヘプバーン自身に衣装を選ばせることにした。これが功を奏し、彼女のファッション・スキルが瞬く間に開花することとなる。



『麗しのサブリナ』Copyright (C)1954 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. TM, (R) & Copyright (C) 2013 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.


 作中、ヘプバーン演じるサブリナが、花嫁修業を終えてアメリカに帰省し、グレンコーヴ駅で迎えを待つシーンでは、グレーのウールの細身のスーツ(それとシフォンのターバンを頭に巻いて)を着用。それとララビー邸のパーティで着た白のカクテルドレスなどの一部衣装は、ヘプバーンが自ら選んだジバンシィデザインの衣装というわけだ。


 女優としてだけでなく、ファッション・アイコンとしても非常に有名だったヘプバーンだが、彼女のファッション・マイスターとしての魅力はこの『麗しのサブリナ』から始まったと言っていい。


 1950年代、ハリウッド映画の女性像というは、グラマラスな豊満ボディこそが魅力のすべてだった。ヘプバーンの華奢なルックスはまるで対照的だったが、ジバンシィは彼女の細身の肢体を綺麗にまとめあげて、さらなる魅力を萌芽させた。ジバンシィにとってオードリーは、まさに“美のミューズ”だったわけだ。いまでこそ有名なヘプバーンとジバンシィの親交は、こうして始まった。ふたりの固い友情は、この先もずっと途絶えることはなかったという。



『麗しのサブリナ』Copyright (C)1954 by Paramount Pictures. All Rights Reserved. TM, (R) & Copyright (C) 2013 by Paramount Pictures. All Rights Reserved.


 しかし、ヘプバーンとジバンシィの最初の共作となった『麗しのサブリナ』には、ジバンシィの名前はクレジットされていない。ジバンシィは確かに衣装を提供したが、映画のためのデザインではなく、ヘプバーンが選んだ既製品であるからだった。実際に、映画の大部分の服飾をデザインしたのは、ハリウッド映画の衣装デザインの第一人者、イーディス・ヘッドだった。ヘッド女史はこの映画での衣装デザインによって、アカデミー賞衣装デザイン賞を獲得したが、受賞の決め手となったのは、ジバンシィ提供の衣装だったことは、誰の目にも明らかだった。



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