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『ジョーカー』社会の被害者が「王の資質」を得るまで――禁忌にふれる、悪への共振

(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics

『ジョーカー』社会の被害者が「王の資質」を得るまで――禁忌にふれる、悪への共振

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ジョーカーを「孤高」の存在から「孤独」な市民に



 ジョーカーというヴィランは、『ダークナイト』の影響もあって「狂気の権化」のイメージが強い。富や名声には目もくれず、破壊と混沌を楽しむ悪のカリスマ。過去がほぼ一切見えないことで得体の知れなさに拍車がかかり、『ダークナイト』では、自分語りがすべて出鱈目という演出で、「不信の恐怖」とでもいうべき異常なおぞましさを染み出させている。


 ジョーカーはなぜかくも恐ろしく、魅力的なのか? それは、スーパーパワーも何も持っていない普通の人間なのに、まるで「普通」ではないからだろう。人としての何かを飛び越えて“真理”に到達した、向こう側の住人。独自の信念に生きるアウトロー。既成概念を吹き飛ばす革命家。彼は、我々と同じ人間の理の中で生きながら、まるで違う地平線を見据えている。


 そんなキャラクターに「背景」を付加することは、いわば「隙を生み出す」ことにもなり、長らく“禁じ手”だったといえよう。ジョーカーは人間離れしているから面白いのであって、同情心を呼び起こす存在であってはならない。例えば『ノーカントリー』(07)のアントン・シガーが人間性を見せたら、あの言い知れぬ威圧感はなくなってしまう。過去や人格形成の過程を描くことは、これらのキャラクターにとってはマイナスでしかない。



『ジョーカー』(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics


 しかし、『ジョーカー』は敢えてその部分にスポットを当てた。まず重要なポイントは、本作のジョーカーが「善人」であるということ。彼を生粋のヴィランではなく、アーサーという善良な小市民に設定したことで、「何がこの男を悪の道へと駆り立てたのか?」を提示する。これはいわばドラマ性の付与であり、共感の余地を作ることで、“怪物”の座から引きずり下ろす行為でもある。


 さらに、「笑いが止まらなくなる病気」「精神的にも不安定で薬を常用」「充分な教育を受けていない」「寝たきりの母と2人暮らしの貧困層」などといった要素を加え、これまでの「孤高」の存在から「孤独」な一般市民へと方向転換を図っている。


 「奪う」側から、「搾取される」側へ。トッド・フィリップス監督は、ジョーカーから本来のオーラをすべてはぎ取って、生身の「人間」を見せつける道を選んだ。監督から受けた「腹を空かせた不健康な男。栄養失調の狼」というイメージを具現化するべく、主演のホアキン・フェニックスは約20キロも減量。1日に食事はリンゴ1個だけというような過酷な役作りに挑み、悪のカリスマからは程遠い、異常にやせこけた体型を作り上げた。



『ジョーカー』(C)2019 Warner Bros. Ent. All Rights Reserved TM & (C) DC Comics


 スマートさの欠片もなく、都会の片隅で虐げられながら何とか生き延びている男。我々が目にするのは、そんなジョーカーだ。



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