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デニス・ホッパーを認識したのは7歳の時に見た『ブルーベルベット』だよ。ニック・エベリング監督『デニス・ホッパー/狂気の旅路』【Director’s Interview Vol.48】

デニス・ホッパーを認識したのは7歳の時に見た『ブルーベルベット』だよ。ニック・エベリング監督『デニス・ホッパー/狂気の旅路』【Director’s Interview Vol.48】

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ホッパーの右腕だった男、サティヤとの出会い



Q:ホッパーからどんな影響を受けましたか?


ニック:僕は当時役者の仕事をしていて、コマーシャルなんかに出ていた。でも『ドラッグストア・カウボーイ』(89)とか『ブルーベルベット』とか『ワイルド・アット・ハート』(90)みたいな、本当に自分が出たいと思うような傑作のオーディションを受ける機会はなかった。話が来るのはとてもじゃないが勘弁して欲しいようなロクでもないプロジェクトばかりでね(笑)。


でもデニスに会ったおかげでものすごくインスパイアされたんだ。当時はまだ車の運転ができず、バスに乗って、ロサンゼルスのアングラ作品がいっぱい置いてある超クールなビデオストアに行った。黒澤明やモンテ・ヘルマンの映画が全部置いてあるような店でね。そこで「デニス・ホッパーが出てる『ブルーベルベット』みたいな映画がもっと観たいんだけど」と言って『ラストムービー』のビデオテープを見つけたんだ。



写真は映画『ラストムービー』より


当時は彼が監督をしてることも知らなかった。『イージー・ライダー』も観たことがなかったし、監督とか脚本とか、役者以外の活動は全然知らなかった。『イージー・ライダー』も観てないのに『ラストムービー』を観た人間は相当珍しいよね(笑)。でも『ラストムービー』は僕にとって革命だった。役者として見ても『ラストムービー』の演技はどれも素晴らしかったし、ラズロ・コヴァックスの撮影もみごとだ。すぐに夢中になったよ。


そこで僕は役者をやめて、自分でカメラを持って撮影を始めて、映画作家を目指すようになった。そうして『フルートベール駅で』(13)のプロデューサーのニナ・ヤン・ボンジョヴィと知り合って、2014年のある時にサティア(デ・ラ・マニトウ)を紹介してもらったんだ。


Q:サティアという人は、長年に渡ってデニス・ホッパーのアシスタントを務めていたそうですね。


ニック:うん。デニスはもう亡くなっていたんだけど、ニナから電話があって「デニスの右腕だった人がいるから、あなたは会うべきだ」って言われたんだ。数日後にランチを一緒にすることができて、サティアはてっきり、僕が『イージー・ライダー』とか90年代の『スピード』(94)の話を聞きたがっていると思っていた。僕の世代なら大抵はその話を聞きたがるからね。でも僕は「いや、『ラストムービー』の話がしたいんです」って言ったら、すごく驚いていた。「そんな人間は今までいなかった」とね(笑)。そしてサティアにとっても、『ラストムービー』は彼がデニスの人生に関わろうと決意するきっかけになった作品だったんだ。




僕はサティアと意気投合して、『ラストムービー』にまつわる映画を作らなくちゃって思った。資金も具体的なプランもなかったんだけど、関係者を訪ねて回って出演をお願いして撮影を始めた。素晴らしい人たちが大勢出演してくれたけれど、すべては自然発生的に広がっていったんだ。そこもデニスっぽいよね。「映画を作るなら、外に飛び出そう」ってね。



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