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【ミニシアター再訪】第8回 “渋谷劇場”の幕開け、ミニシアターの開花・・・その3 渋谷の夜を変えた音楽映画 後編

【ミニシアター再訪】第8回 “渋谷劇場”の幕開け、ミニシアターの開花・・・その3 渋谷の夜を変えた音楽映画 後編

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キース・へリングがロゴマークを作る










◉『スミサリーンズ』のチラシにも掲載されている「THE LATE SHOW」のロゴマークは、グラフィティ・アートの雄、キース・ヘリングによるもの。その横のバッジもキースのデザインを使っている。


 『ストップ・メイキング・センス』の成功の後、クズイ・エンタープライズは「ザ・レイト・ショー」という自社レーベルを作り、人気歌手スティングのソロ活動の始まりを見つめたドキュメンタリー『スティング/ブルータートルの夢』(85)、パンクの元祖、ミュージシャンのリチャード・ヘル出演の『スミサリーンズ』(82、監督は後にマドンナの女優デビュー作を撮るスーザン・シードルマン)等をレイトショー公開した。


 今となってはニッチな作品もあるが、こうした映画にも<音楽>や<ストリート>といった初期のクズイ・エンタープライズらしい要素が入っている。


 社長はジム・ジャームッシュ、スパイク・リーといったNYインディーズの中心的な監督の作品にも最初から注目していて、スパイクの86年の長編デビュー作『シーズ・ガッタ・ハヴ・イット』(86)は西武グループの映画配給会社、シネセゾンと組んで輸入した(劇場はシネセゾン渋谷)。


 86年に渋谷のパルコで行われたぴあ主催の「NYインディーズ映画祭」に参加するため来日したスパイクはクズイのオフィスを訪ねたという。


 「その時、スパイクは嘆いていたんですよ。黒人の自分には取材のオファーが少ないって。でも、とにかく、音楽好きだったので、オフィスにあったスティングの音源をあげたら喜んでいました。一緒に焼鳥屋にも行きましたよ」と遠藤さん。


 また、前述の「ザ・レイト・ショー」のレーベルのロゴマークを手がけたのは、80年代のグラフィティ・アートの旗手として人気のあったキース・ヘリングだ。


 会社は88年に1年間限定で、キースのポップ・ショップの経営も手がけた。そんなことからも、いわゆる映画だけにとどまらなかった社の個性が見える。 キースは渋谷の街が好きで、特にオクトパスアーミーという店をたびたび訪ねていたという。


 遠藤さんはキースとのこんな印象的な出来事も話してくれた。 一緒に表参道のスパイラルにある店、KAYに寄ったら、壁にバスキアが描いた絵があった。同じくNY出身のストリート系アーティストとして、彼に対抗意識を燃やしたキースは、その絵の横に自分もグラフィティを残した。


 結局、バスキアは88年に27歳で、キースは90年に31歳で他界。その後の残酷な時の流れを考えると、このほほえましいエピソードに別の意味が加わる。


 「キースがもういないのは寂しいですね。彼もエイズには勝てなかった。ストリートの英雄にはなれなかった……」と遠藤さんはちょっと寂しそうな顔を見せる。



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