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【ミニシアター再訪】第14回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その3 銀座・ミニシアター元年 1987

【ミニシアター再訪】第14回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その3 銀座・ミニシアター元年 1987

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都市生活の檜舞台



 吉見俊哉が87に刊行した都市論『都市のドラマトゥルギー 東京・盛り場の社会史』(弘文堂刊、後に河出文庫に収録)によれば、銀座周辺が“ハイカラの中心”となったのは、関東大震災の後で「『銀座』とは同時代の人々にとって、何よりもまず『近代的(モダン)』なるものの象徴としてあったのだ」。


 この本に引用された安藤更生の文章では、銀座は「日本の都市生活の檜舞台」と定義され、「銀座は幸福な街である。ここには美しきもの、新しきもの、香り高きもの、高雅なもの、選ばれたものが集められている」とも記されている。 


 こうした文献からも分かるように銀座や日比谷周辺にあった映画館には豪華な印象があったし、また、多くの映画会社がこの地域に集まることで“映画の街”となっていた。


 邦画系の映画会社、東宝や東映は丸ノ内線の銀座駅から歩いていける距離にあるし、松竹は東銀座の駅の近くにある。


 洋画系の会社にしても、洋画配給の草分け的な東宝東和もかつては銀座(現在は永田町)にあった。また、70年代までは銀座の晴海通りの側のフィルムビルに20世紀フォックス、MGM、ワーナー・ブラザースといった洋画メジャー会社が入っていた。また、日比谷の映画街に近いリッカー会館の中には『E.T.』(82)などの大ヒットを放ったCIC(後のUIP、今は解散)が入っていた。 


 私が映画業界に入った80年代はマスコミ試写もほとんどが銀座・日比谷周辺で行われていていたので、1本試写会が終わった後、近くの別の試写室へかけこむのがおなじみのパターンだった(今は試写室が六本木、神谷町、東銀座などに分散している)。


 また、90年代くらいまではスティーヴン・スピルバーグやトム・クルーズなどハリウッドの人気監督や大物スターの記者会見も日比谷の帝国ホテルで行われることが多かった。新しい洋画を日本で最初に見ることができて、海外から来日するホットな映画人にも会える。銀座・日比谷周辺はまさに“映画の檜舞台”に思えたものだ。



◉今でも日比谷には往時の雰囲気を偲ばせる映画館がいくつかある。みゆき座はミニシアター的な感性のヨーロッパ映画を数多くかけていた(左)。有楽町駅前のスバル座はジム・ジャームッシュ作品などフランス映画社の映画もかけ、ミニシアター的な使われ方をしていた時期もあった(右、どちらも2014年撮影)。



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