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【ミニシアター再訪】第15回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その4 シャンテシネのはじまり

【ミニシアター再訪】第15回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その4 シャンテシネのはじまり

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2スクリーンは初の試み



 従来のミニシアターとシャンテシネとの大きな違いはふたつの劇場が入っていたことだ(当時、他のミニシアターは1スクリーンだけだった)。オープニングの時、シネ1には『グッドモーニング・バビロン!』をかけることになったが、シネ2では『エデンの東』(54)などで知られるハリウッドの巨匠、エリア・カザン監督の47年の日本未公開作品、『紳士協定』(47)が上映されることになった。 


 「調査をするうちにアカデミー賞をとりながらも日本で公開されていない作品に『紳士協定』があることが分かり、できたらやりたいな、と思いました。作品自体はひじょうに地味で、テーマも人種差別を扱っていて、しかもモノクロ作品です。興行的な価値という意味では心配だけれど、埋もれた名作を紹介するということでは意味がありました」


 「そうはいってもマイナーすぎるものではなく、一般の方も食いつきやすいものを、ということも考え、この作品になりました。アカデミー賞の作品賞、監督賞の受賞作で、しかもグレゴリー・ペックという主演の役者の名前もありましたし。アメリカでは20世紀フォックスが公開していますが、この時は東宝東和にお願いして配給しました」


 『紳士協定』はグレゴリー・ペック扮するジャーナリストが主人公で、彼はユダヤ人の排斥問題に関する記事を書くため、自分をユダヤ人であると偽って周囲の反応を見る。ユダヤの差別問題を描くことはかつてのハリウッドではタブーだったが、自身がユダヤ人でもある監督のカザンはこのテーマに挑戦してオスカーを手にした。 


 第2回東京国際映画祭のゲストとしてカザン監督が来日した時は『読売新聞』(87年10月5日夕刊)にこんな記事が出た。


 「監督は、当年とって七十八歳。しかし、〔中略〕その身のこなしにはかくしゃくたるものがあり、衰えをまったく感じさせない。〔中略〕映画祭では日比谷の新劇場『シャンテシネ2』で初公開の『紳士協定』も特別上映されてご機嫌だ。〔中略〕『今やユダヤ人もスマートと言われる時代だ』〔と語った〕」 


 こうして巨匠の幻のオスカー受賞作は40年遅れで日本の土を踏むことになった。「いい写真(作品)が2本揃った、というのが、まずはシャンテのスタートでしたね」と高橋専務は当時を振り返る。 


 そして87年10月9日、東宝初のミニシアターが遂に誕生した。 



◉通巻号数を記す雑誌風パンフレット、シネマクラブなどは、ミニシアター文化のひとつの定型だった 




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