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【ミニシアター再訪】第22回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その11 シネスイッチの定番『ニュー・シネマ・パラダイス』

【ミニシアター再訪】第22回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その11 シネスイッチの定番『ニュー・シネマ・パラダイス』

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カンヌ映画祭も絶賛



 このささやかなイタリア映画が最初に国際的な注目を集めたのは1989年のカンヌ映画祭に出品された時だ。フランスのジャン・ルノワールやイタリアのフェデリコ・フェリーニなど巨匠たちの名作のワンシーンを全体にちりばめることで、映画への深い愛情も見せて高い評価を受け、映画祭の審査員特別賞にも輝いた(ちなみにこの時、大賞のパルムドールを獲得したのはスティーヴン・ソダーバーグ監督の『セックスと嘘とビデオテープ』〈89〉で、他にスパイク・リー監督の『ドゥ・ザ・ライト・シング』〈89〉も話題を呼んだ)。


 同じく映画作りへの愛情を『グッドモーニング・バビロン!』(87)の中で表現した監督のタヴィアーニ兄弟は「これは映画館を愛する人々のために、映画館に身を捧げた男の物語である。ブラボー、トルナトーレ!」という賛辞を捧げている。 


 映画はフジテレビ、ヘラルド・エース、俳優座シネマテンが提供、ヘラルド・エース、日本ヘラルド映画の配給となり、フジテレビやヘラルド・エースが番組作りを行っていたミニシアター、シネスイッチ銀座にかけられることになった。カンヌで賞をとっても、当時の拡大系ロードショーにかけるのはむずかしいという判断が下されたのだろう。 


 確かに派手な売りはなかった。トルナトーレは33歳の新人監督で、出演者もフランス出身の国際男優、フィリップ・ノワレをのぞくと、特に有名な俳優は出ていない。舞台はイタリアの架空の小さな村でローカリティあふれる作風だ。これほどの人気作品になることを予測できた人が、当時どれほどいただろう。 


 映画祭から半年後のお正月作品に決まった後、公開に先駆けて試写会も行われたが、マスコミより一般試写での受けが良かったので、口コミによる宣伝を狙って、かなり一般対象の試写会を組んだという。 その中でも特に話題を呼んだのがシネスイッチ銀座での89年11月30日に行われた上映会だ。 


 映画は戦後のイタリアが舞台だが、トトの少年時代は年代が不明。はっきり年が特定できるのは青年期のトトのエピソードだけだ。 金持ちの美しい娘エレナに恋をしたトトは彼女への愛を示すため、映写の仕事の後、彼女の家の下に立って彼女を待つ。彼の軌跡を見せるカレンダーが出てくるが、その年が1954年になっている(そして、エレナは大みそかの夜、遂にトトの愛を受けいれる)。 


 このエピソードにひっかけ、シネスイッチ銀座そのものを1954年の映画館に見立てたイベント上映が行われたのだ。11月24日付けの『朝日新聞』の映画の広告欄にイベントの告知が掲載されている。 


 「〔当時は〕日本でも映画の全盛期でした。当時の映画館をシネスイッチ銀座に再現。入場料金も当時の200円で、この映画が特別上映されます」 


 このイベントの記事が『読売新聞』に掲載されていたので抜粋すると――。


 「一九五〇年代の映画館のあの興奮を取り戻そうと、〔中略〕十二月一日の『映画の日』を前にした催しで、館内には、当時の懐かしい映画ポスターやスターのスチールが展示されるほか、一九五五年のニュース映画も上映する。シネスイッチ銀座は二年前に名称を変えてオープンしているが、映画館としての誕生は一九五〇年代後半にさかのぼる」 


 当日は映画評論家の淀川長治のトークもあり、50年代の映画館の様子や映画への熱い思いも語られたようだ。 イベントに関して、シネスイッチの亀ケ谷正敏支配人(当時)は「昔は銀座で映画を見るのはぜいたくなレジャー。客が入りきれないことがよくありました。これからも定期的にビデオとは違う感動を映画館で体験してもらうイベントを開きたい」というコメントを記事の中に残している。 



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