今回は番外編的な記事で、封切り専門のミニシアターではなく、封切後、しばらくたってから作品を上映していた二番館と名画座が主役。2014年に閉館を迎えた三軒茶屋シネマと新橋文化劇場の最後を追った。
2010年代に都内のミニシアターや名画座が次々に閉館を迎え、そんな状況を危惧し、劇場の記録を残したいと思って始めた取材だった。そんな中、このふたつの歴史ある名画座の最後にも立ちあうことになった。
両映画館では閉館前に『ニュー・シネマ・パラダイス』(89)が上映された。89年にシネスイッチ銀座が生んだ大ヒット作であるが、封切後、25年が経過しても、この映画は愛され続け、名画座の最後を飾る定番作品となっている。
劇中にはかつて人々に愛されていたパラダイス劇場が取り壊される場面も出てくるが、映画館は消えても上映された作品は映画館の思い出と共に人々の記憶の中で生き続ける……。
『ニュー・シネマ・パラダイス』を買い付け、宣伝を担当したのはヘラルド・エースだったが、その元代表で、シネスイッチの誕生にもかかわった原正人プロデューサーのコメントもあわせて紹介したい。
※以下記事は、2013年~2014年の間、芸術新聞社運営のWEBサイトにて連載されていた記事です。今回、大森さわこ様と株式会社芸術新聞社様の許可をいただき転載させていただいております。
Index
『ニュー・シネマ・パラダイス』を閉館上映
銀座のミニシアター、シネスイッチ銀座で89年に封切られた『ニュー・シネマ・パラダイス』は40週のロングラン・ヒットとなり、その後もシネスイッチ銀座で何度か上映されている。
他の劇場にかけられることも多く、2010年から全国のシネコンで始まった「午前十時の映画祭」でもこれまで3回上映され、『ローマの休日』(53)『大脱走』(63)『サウンド・オブ・ミュージック』(64)『ゴッドファーザー』(72)といったハリウッドの名作と並ぶ人気作品だという。
キャパシティが200席ちょっとの銀座のミニシアターが送り出したささやかな作品は国民的な人気作に成長した。
公開時の新聞の宣伝コピーは「みんな笑いながら泣いている」で、ユーモアと涙にあふれた感動的な作品であることが人気を集めた理由なのだろうが、劇中での映画館の描かれ方も映画ファンの心をとらえるものがある。
前半の舞台は1940年代後半から50年代かけてのイタリアの小さな村で、映画が娯楽の王様だった時代の映画館(パラダイス座)の活気が生き生きと描写される。
主人公の少年、トトも映画館に魅せられ、成長後は映画監督となる。しかし、30年ぶりに故郷に戻ってみると、パラダイス座は廃墟になっていて、最後は取り壊される。劇場のオーナーはトトに言う──「もう誰も映画館に来なくなった。みんなテレビやビデオを見ている」
後半は劇場のあり方についても考えさせる内容となっている。
シネスイッチの前身、銀座文化劇場もパラダイス座と同じように50年代から映画を上映してきたが、80年代にミニシアターとして生まれ変わることで、今も存在感を示している。
東京には50年代に作られた映画館が他にも残っているが、2014年の夏、三軒茶屋と新橋にある古い映画館が閉館を迎えることになり、閉館プログラムの1本として『ニュー・シネマ・パラダイス』も上映された。
この映画の後を追い、古い映画館の最後の姿を記憶にとどめるため、劇場を訪ねることにした。