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【ミニシアター再訪】第24回 渋谷系の流行、ミニシアターの熱い夏・・・その1 渋谷のカリスマ、シネマライズのはじまり

【ミニシアター再訪】第24回 渋谷系の流行、ミニシアターの熱い夏・・・その1 渋谷のカリスマ、シネマライズのはじまり

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都市型でアート系を好む



 地下にある映画館は打ちっぱなしのコンクリートの壁に囲まれ、階段ごとに椅子があったが、その階段が高くもなく、低くもなく、とても見やすかった。キャパシティは220席。 


 そんな劇場が初めて渋谷に登場したのは86年6月6日のこと。なんとラブホテルを映画館に変え、メリル・ストリープ主演の『プレンティ』(85、松竹富士配給)でオープニングを迎えた。 


 イギリスの劇作家デイヴィッド・ヘアの舞台作品の映画化で、戦時中にレジスタンス運動に身を投じたエキセントリックな女性の情熱と失意の物語だ。海外(90年代)ではケイト・ブランシェットの舞台の代表作としても知られているが、その後のシネマライズのカラーを考えると、大人の女性向きの文芸作品が第1回作品であったことが少々意外に思える。 


 この劇場の認知度を上げたのは、むしろ2本目の『ホテル・ニューハンプシャー』(84、松竹富士配給・19週上映)からで、こちらは興収1億700万円を超える大ヒット作となっている。当時、これほどの注目を集めることができたのは、原作者ジョン・アーヴィングの人気に負うものだろう。80年代は海外の翻訳文学に勢いがあり、アーヴィングが書いた『ガープの世界』『ホテル・ニューハンプシャー』はロングセラーになっていた。


 海外の翻訳文学がかつてほど注目されなくなった現代の目で振り返ると、あれほどまでにアメリカの翻訳文学が支持されていた時代があったことが信じられない気さえする(人気作家、村上春樹が翻訳を手がけたアーヴィング作品もあったので、彼のファンも買っていたのだろう)。 


 この劇場が本当の個性を獲得し始めたのは、イギリスの前衛的な監督、故デレク・ジャーマンの絵画的な映像作品『カラヴァッジオ』(86、松竹富士配給)を上映したあたりからだろう。 


 シネマライズの賴光裕社長や賴香苗専務によれば、特に上映を望んでいた作品の一本だったそうだが、それまで映画業界外の世界にいたので、開館した頃は大手の映画会社、松竹と契約を結んでいた。そして、上の階にあった映画館は拡大系作品を上映する渋谷ピカデリーとして稼働していた(当時、オリバー・ストーン監督の『サルバドル/遥かなる日々』(86)やアラン・パーカー監督の『ミシシッピー・バーニング』(88)などを見た覚えがある)。 


 地下にあったシネマライズでは87年の『カラヴァッジオ』の後、88年にデイヴィッド・リンチ監督のおぞましくも美しい『ブルー・ベルベット』(86、松竹富士配給・11週上映)、89年にはドイツのパーシー・アドロン監督の心にしみる『バグダット・カフェ』(87、クズイ・エンタープライズ配給・17週上映)やピーター・グリーナウェイ監督のグロテスクな美意識に彩られた『コックと泥棒、その妻と愛人』(89、ヘラルド・エース配給・17週上映)、そして、90年には前述の屈折した青春映画『ドラッグストア・カウボーイ』(GAGA配給・13週上映)といったヒット作が出て、都市型のアート性の高い映画館としての基礎が築かれていく。



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