34週間のロングラン
一方、ギャロが出演するパルコのCMは劇場のオープニングに合わせてテレビで放映されることも決まり、マスコミでの売り込みも順調に進んでいった。
「結局、まわりから少しずつ盛り上がっていき、紙媒体だけで約1000本の記事が出ました。もう、最後は計測不能です、と宣伝チームは言っていました(笑)」
当時は公開前のヒット予測のバロメーターと言われた前売り券の売り上げも好調で、スペース・パート3時代には100枚か、200枚売れば成功のはずが、『バッファロー'66』は1500枚という異例の売り上げとなっていた。
シネクイントのオープニングとなった初日の99年7月3日、天候は雨だった。
「でも、天気は関係ないんですね。劇場は8階にあったんですが、そこから地下1階まで階段に列が出来ました。毎回、満席で、その長い列が2週間か、3週間ほど続きました。当時は指定席の制度もなく、ウェブでの予約もできなかったので、朝から来て劇場に並ぶしかなかったんです」
封切られた年の7月は暑く、エアコンも大して効いていない。
「自動販売機の飲み物が午後の1時か、2時ごろには売り切れになって、その時期の都内の自動販売機での売り上げが1番とも言われました(笑)。僕たちは近くのコンビニに水を買いに行って皆さんに渡したんですが、それさえも追いつかない状態でした」
結局、最初の6週間だけで興行成績は1億円を超えた。 ミュージシャンとしても活動するギャロは、その後、来日して俳優のルーカス・ハースと難解な実験音楽を、クラブ・クアトロを埋めつくした聴衆たちの前で披露したこともあった。
さらにトヨタの自動車、セリカのCMにも起用された。
「映画の入りが少し落ちてきた頃に、ライブや別のCMの話題が出てきて、とにかくギャロ騒動がおさまらない。次に上映が予定されていた作品は公開時期が入ったチラシを何度も刷り直していて、本当に気の毒でした」
99年7月に封切られた後、翌年2月まで34週間の興行となった。2億5000万円の興行収入で、約15万8000人を動員した。
「数字的には『トレインスポッティング』がそれまでの渋谷のミニシアター興行の記録でしたが、それも抜くことができて、よっしゃー、って気分でした」
実はクイントがオープンした〝99年の夏〟は、渋谷のミニシアター界の興行にとって特別な時期だった。シネマライズを訪ねた時、賴香苗専務はこの年についてこんな発言を残したものだ。
「あの年は渋谷の夏がすごく熱くて、いい時代でした。うちは本興行の『ラン・ローラ・ラン』(98)とレイトショーの『π』(97)が当たっていたし、お向かいのシネクイントは『バッファロー'66』、シネセゾン渋谷は『ロック、ストック & トゥー・スモーキング・バレルズ』(98)がヒットしていました。自分たちのところだけではなく、渋谷が映画で盛り上がっていて、すごくうれしかった。どこも若い感覚の映画を上映していて、本当に勢いがあった。あれは〝奇跡の夏〟だったと思います」
ちなみにシネマライズの本興行の『ラン・ローラ・ラン』は20週の興行で、1億1000万円の興行収入、7万人の動員。同劇場の『π』はレイトショー1回だけの興行にもかかわらず、20週上映となり、3400万円の興行収入、2万人以上の動員となっている。また、シネセゾン渋谷の『ロック・ストック・トゥー・スモーキング・バレルズ』も13週上映され、この劇場の歴代観客動員数で13位となっている。
今はひとつのミニシアターで10週間上映できれば、大ヒット作と呼ばれる時代。しかし、99年の渋谷・宇田川町周辺のミニシアターからは多くの驚異的なロングラン・ヒットが生まれている。当然、街にも若い観客たちがあふれていたわけで、この数字からも20世紀最後の渋谷の夏の異様な活気が伝わってくる。
その台風の目となった空前のバッファロー・ブーム。この映画のヒットの要因は何だろう?
「よく聞かれるんですが、あの映画はまず不器用なふたりのラブストーリーだと思うんですよ。恋人役のクリスティーナ・リッチはどこか幸薄そう。ふたりは別れるのかな、と思ったら、あの意外な結末で……。日本人が好きそうなラブストーリーだったんでしょうね。ギャロなんて、普通に考えると、ちっともイイ男じゃないし、性格もむずかしいけど、すごい人気でした。『バッファロー'66』の場合、音楽やスローモーションの使い方などが、映画としては新しかったのかもしれません。ただ、大ヒットの決定的な理由はよく分かりませんね」
当時、キング・クリムゾンやイエスなどの名曲を収録したオリジナル・サウンドトラックがタワーレコードやHMVといった渋谷のレコード店で大人気となっていた。劇中でヒロインがキング・クリムゾンの70年代の曲「ムーン・チャイルド」をバックにして、ボーリング場でたどたどしいタップダンスを踊る時の可憐さは忘れがたい。
この作品の当時の新聞に載った記事を拾ってみると――。
「監督・主演のヴィンセント・ギャロは異能の人として若いファンの支持がある。誘拐劇に始まって、家族の姿を描き、恋物語にたどりつく、この初監督作をギャロは『最高の映画』と断言する。画家としてキャリアがあり、またある時はオートバイレーサー。カルバン・クラインの広告に登場したモデルで、前衛画家の故バスキアと一緒にバンドも組んだ。〔中略〕しばしばあるように、マルチタレントは最後に映画監督へ、ということなのか。『分かってもらいたいのは役者が監督になったんじゃないってことだ。生涯に一度きりでいいから、最高最上の映画の中で演技したかったんだ。それには自分のすべてをつぎ込むに限る』」(『朝日新聞』99年7月6日夕刊)
「主演も兼ねたヴィンセント・ギャロの外見こそ普段のままだが、主人公の性格は純朴で内気。先の来日時に見せた素顔がそのまま現れたような、愛らしい作品だ。〔中略〕特にラストで、おくてのビリーが、おずおずとレイラに口づけをする場面は、最近では出色の感動的なキスシーンだ。忘れかけた胸のときめきを思い出させてくれる(多葉田聡)」(『読売新聞』99年8月10日夕刊)
堤プロデューサーが言うように、シンプルな〝ボーイ・ミーツ・ガール〟もので、ギャロ扮する刑務所帰りのダメ男が両親に会いに行くため、ダンス・スクールにいたクリスティーナ扮する女の子を誘拐して、妻のふりをさせる。「俺をたてろ!」「俺のいうことに逆らうな!」と、亭主関白的な態度を見せる男と彼に誘拐され、その言いつけに従う女。しかし、映画の後半になると、男の純情さが見え、純朴な女はそんな彼を愛し始める……。
多彩な才能を持ち、爬虫類のような顔をしたギャロの凶暴な不良性と内側に秘めた純情さ。それが分かりやすい形で出た監督デビュー作で、相手役を演じる子役上がりのクリスティーナの太めの体形もご愛嬌。主演が完璧な男女ではないからこそ、初々しいラブストーリーになっていた。
99年にオープンしたシネクイントにとって、この作品はいまだ、歴代記録ナンバーワンだが、ひとつには90年代の渋谷という街が持っていたパワーが発揮されることで、この予想外の大ヒット作も生まれたのだろう。
ミニシアターでの1作目は大ヒット作にならない、というそれまでのジンクスを覆して、『バッファロー'66』はロングランとなり、それまで後手にまわっていたパルコ・スペース・パート3改め、シネクイントの力も世間に知らしめた。