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【ミニシアター再訪】第29回 神保町で立ちあがった「ミニシアター」の源流 岩波ホール

【ミニシアター再訪】第29回 神保町で立ちあがった「ミニシアター」の源流 岩波ホール

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アジア映画と女性映画



 本格的なミニシアター時代が到来した80年代以降、岩波ホールはいくつかの新しい方向性を模索する。まずは「アジア映画への新たな挑戦」である。


 「当時、アジア映画をもっと開拓しようという思いがありました。ひとつには高野が大陸(満州)生まれで、中国への思いが強かったせいでしょう。そこでシェ・チン(謝晋)監督の『芙蓉鎮』(87)を上映したのですが、これが大ヒットとなり、同監督のその後の作品も上映しました。高野は中国映画への思いというものを強く持っていました」


 『芙蓉鎮』は文化大革命の大きな波に飲まれながらも、その厳しい環境を生き抜こうとする庶民たちの姿を力強く映し出した作品で、88年に岩波ホールでは2時間45分の完全版の上映が実現して大ヒットを記録した。岩波ホールの歴代動員数の第10位(20週上映)に入っていて、1億2000万円の興行収入を上げ、7万6000人を動員している。80年代後半から90年代にかけて、日本のミニシアターでは中国や台湾、香港などからやってきたアジア映画が人気を得ていた。


 特に中国の第五世代を呼ばれるチェン・カイコー(『さらば、わが愛/覇王別姫』〈93〉)やチャン・イーモウ(『紅いコーリャン』〈87〉)、ホウ・シャオシエン(『悲情城市』〈89〉)といった監督たちの斬新な映像感覚が注目を集めたが、彼らより年上である第三世代のシェ・チンの作品には大河ドラマ的なうねりがあり、それが当時の観客の心をとらえた。


 その後は旧・満州に捨てられた日本人孤児の運命を追った93年上映の『乳泉村の子』(91、歴代興行の第9位、22週上映)19世紀の阿片戦争を映し出した歴史大作97年上映の『阿片戦争』(97、歴代興行の第7位、約17週上映)といった同監督の映画もこの劇場でヒットしている。


 また、歴代興行の1位もアジア映画で、女性監督、メイベル・チャンの香港・日本の合作『宋家の三姉妹』(97)が98年末に封切られて大ヒットを記録した。蒋介石や孫文らの妻となった実在の三姉妹の運命をマギー・チャンやミシェール・ヨー、ヴィヴィアン・ウーといった豪華な女優陣で描きだした大河ドラマだ。


 「高野は自分も三姉妹でしたので、特にこの姉妹の設定にひかれたのでしょう。当初は25週の上映を考えていたのですが、急に強気になって30週上映を設定してがんばりました。当時は民音(民主音楽協会)などの団体で、前売り券が売れていた時代でしたので、そうした恩恵もあり、記録的な大ヒットとなりました」


 岩波ホールの場合、ほぼ1年前からラインナップを決め、その時、上映週も決めていく。興行成績が良かった場合、封切りから少し時間がたってからアンコール上映が行われることもあるが、『宋家の三姉妹』の場合は30週の上映後、アンコール上映も実現し、最終的には44週の上映となる。3億円の興行収入を上げ、18万7000人を動員した。


 ちなみに同じ頃、渋谷の若者向けのミニシアター、シネクイントでは『バッファロー'66』(98)が大ヒットしていて、こちらは34週上映された。20世紀最後の年、渋谷も神保町もミニシアターに勢いがあった。


 「あの頃、いろいろ思考錯誤を繰り返していました。うちの場合は"映画は国境を超える"というコンセプトがあり、上映作品の国籍を増やしていきました。これまで40カ国以上の作品を上映していると思います」


 中国映画に関しては2001年にかけられた人間ドラマ、『山の郵便配達』(99、22週上映)も大ヒットとなり、歴代動員数の第2位となる。約2億円の興行収入を上げ、12万4000人の観客を集めている。山奥の小さな村で黙々と郵便配達を続ける父と息子の物語で、その風景の美しさも心に残る。


 「この映画は集英社から原作が出たんですが、映画がヒットしたおかげで10万部を超えるベストセラーとなりました」


 集英社は岩波ホールの至近距離にある出版社で、この原作の表紙の絵も原田さんが手がけたという。そんなエピソードの中には本の街にふさわしい出版と映画館の幸福な関係が見える気がした。


 「この映画は、『朝日新聞』の『天声人語』でも紹介されたんですが、あの頃はそういうことにも大きな意味がありました。新聞の文化欄でも、うちの映画をよく取り上げていただいたんですが、近年はそういうこともなくなり、映画が文化としてきちんと議論されなくなったことが残念ですね。今は上映の作品数も多いし、紹介もカタログ化しているのかもしれません」


 この時代の「アジア映画の開拓」は、岩波ホールに大きな成果を残した。国籍は日本映画であるが、韓国の男優、アン・ソンギを主演に迎えた『眠る男』(96、小栗康平監督)も話題を呼んだ。韓国と日本との文化交流が今ほど広がっていなかった時代に作られた貴重な作品で、96年に26週上映され11万人動員。歴代動員の4位で、1億7500万の興行収入を上げている。


 小栗監督は84年にこの劇場で上映された日本映画『伽倻子のために』(84)でもすでに韓国の問題を取り上げていて、高野総支配人は「〔この映画は〕監督と岩波ホールとの距離をぐっと近づけてくれた。〔この作品があったからこそ〕岩波ホールは今でも韓国の映画人と"映画の仲間、エキプ・ド・シネマ"として付き合えるのだ」と回想している(『岩波ホールと<映画の仲間>』より)。



◉岩波ホールの歴代ヒット映画1位「宋家の三姉妹」(97、東宝東和配給)。このホールに縁の深いポーランドの巨匠、故アンジェイ・ワイダ監督の『ワレサ 連帯の男』(13、アルバトロスフィルム配給)。


 「アジア映画の開拓」と共に80年代以降、同劇場が力を入れたテーマには「女性映画の強化」もあった。


 大きなきっかけとなったのが、85年5月31日に東京で始まった第1回東京国際映画祭だった。バブル景気で盛り上がっていた時代だからこそ、始めることができたイベントだったが、その中に女性映画の部門も設け、高野悦子総支配人がジェネラルプロデューサーを務めることになった。前述の著書『岩波ホールと〈映画の仲間〉』の中に高野総支配人はこう書き残している。


 「日本が経済大国といわれるようになってから、なぜ日本には国際映画祭がないのかと、外国の友人からよくいわれていた。だから、日本の映画人の一人として、この映画祭の発足を心から嬉しく思っていた」


 「時あたかも一九七六年にスタートした<国際婦人の一〇年>の最終年にあたり、女性の地位向上のための将来戦略が注目を集めていた。これを受けて、欧米、ソ連・東欧諸国はもとより、アジア、中南米の国々でも、映画の内容を決定する監督の座に、女性が群れをなして出現しはじめていた。しかし、日本には、劇映画の監督を職業とする女性は皆無だった」


 「世界の映画祭では、一九七五年頃から女性監督が映像の中で積極的に発言するようになっていた。〔中略〕それまでの、男性だけの視点でできた映画の中に、女性の視点が加えられていくのだから、映画の世界を豊かにするという意味でも喜ばしいことである」


 「若い頃、監督を夢見て挫折した経験のある私は、〔このイベントは〕若い女性たちに勇気と希望を与えるに違いないと考えた。〔中略〕私はこの企画をエキプ運動のひとつと考え、川喜多かしこさんにアドバイザーをお願いした。タイトルには<映像が女性で輝くとき>とつけた」


 この女性映画祭はその後も続いていくが、第1回目に上映された女優ジャンヌ・モローの監督作『ジャンヌ・モローの思春期』(79)、ヘルマ・サンダース・ブラームス監督の『エミリーの未来』(84)、羽田澄子監督の『AKIKO/あるダンサーの肖像』(85)といった作品は、映画祭で上映後、岩波ホールで封切られている。


 女性映画祭の劇場への影響について原田さんはこう語る。


 「この映画祭を通じて高野の女性監督への思いがより強く出た番組作りになっていきました。とにかく女性監督の映画を多く取り上げるようになり、年間のラインナップの半分くらいが女性監督の作品だったこともあります。今年亡くなったヘルマ・サンダース・ブラームス監督の場合、80年代の『ドイツ・青ざめた母』(80)から最近の『ハンナ・アーレント』(12)まで多くの作品を上映してきました」


 実在の人物を主人公にした『ハンナ・アーレント』は13年に岩波ホールで7週間上映された後、他の劇場にもかけられ、かなり話題を呼んだ。


 「日本ではあまり知られていなかった女性の思想家の物語ですが、今の不安定な時代の中で、自分のしっかりした意志を持つことの大切さを明確に描いた作品でした。人間が考える意志を持つことがいかに大事か。そんなテーマが打ち出され、共感できる作品だと思います」


 今のネット社会の中では確かに「自分自身で考えること」の意義が見失われつつあるのかもしれない。誰かの意見がコピー&ペイストで簡単に複製されていき、時にはそれを読むだけで自分も分かった気になる場合がある。そんな時代だからこそ、自分の目で考えることの大切さを訴えたこの作品には公開意義があった。


 「ユダヤ人問題なども含まれた政治的な内容なので、実はうちでの上映に対して反発する意見もありましたが、上映は成功でしたし、この映画をきっかけにハンナの本も爆発的に売れたそうです」


 映画ではドイツの人気女優、バルバラ・スコヴァが強い意志を持つ知的なヒロインを好演しているが、80年代には同監督の『ローザ・ルクセンブルグ』(85)にも主演してカンヌ映画祭主演女優賞を獲得している。こちらは社会運動に身を投じる実在の革命家が主人公で、『ハンナ・アーレント』に共通するテーマをすでに発見できる。


 岩波ホールでは前述のヘルマ・サンダース・ブラームス以外にも、『サラーム・ボンベイ!』(88)や『ミシシッピー・マサラ』(91)のインドのミーラー・ナーイル、『アントニア』(95)や『ダロウェイ夫人』(97、16週上映、歴代動員数の第8位)を手がけたオランダのマルレーン・ゴリス、『森の中の淑女たち』(90、再上映も含み26週上映、歴代動員の第6位)のカナダのシンシア・スコットなど、さまざまな国籍の女性監督たちの作品を紹介してきた。



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