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深田流演出術、小説版との関係性。深田晃司監督『海を駆ける』 ~後編~【Director’s Interview Vol.3.2】

深田流演出術、小説版との関係性。深田晃司監督『海を駆ける』 ~後編~【Director’s Interview Vol.3.2】

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監督が描く「映画」と「小説」の違い



Q:『淵に立つ』に続いて『海を駆ける』でも 小説版を出されましたよね。監督の中で、映画と小説の関係性ってどうなっているんでしょうか?


深田:ああ、それは難しいですねえ。


Q:例えば『海を駆ける』で言うと、映画の中ではポンと提示したまま何だったのか明かさないことを、小説では具体的に書いています。例えばラウが鶴田さん演じる貴子に何をしたのかという点だったりするんですけど。


深田:ただ、小説の構造としてひとつ留意してほしいのは、例えば「ラウが死をもたらす者だった」というのはサチコの主観でしかないんですよ。この映画を観たお客さんが、それぞれにラウを解釈するのと同じように、小説の中でも「サチコがそう解釈した」というに過ぎないんですね。


Q:なるほど。ただ、貴子が心臓発作で亡くなったということは小説でははっきりと書いてありますよね。


深田:あ、小説で書いてますっけ? ああ、忘れてた(笑)。


Q:監督の場合、映画ではさまざまな解釈ができる余白を残しつつ、小説ではわりときちっと言葉にしていて、それをほぼ同時に発表していますよね。『淵に立つ』の場合は、映画と小説で終盤の展開も違うので、パラレルなものであると解釈できるわけですけど、『海を駆ける』ではどうなのでしょうか?


深田:ほぼ同時に発表するのは、映画の公開に合わせないと小説は出せないので、小説を書くチャンスはそこにしかないという現実的な理由ではありますね。でも自分の中での意識だと、小説と映画はまったく別物なんです。小説を書く時に改めて物語を解釈し直したというだけで、小説の方が正解だとは思わないで欲しいっていう気持ちはあります。だいたい小説を書くのは映画を作った後ですからね(笑)。




Q:深田監督が描く小説版では、映画では見えないキャラクターの心情がつぶさに書かれていますが、それも決して正解ではないと?


深田:心情を書かなければ、スペースが埋まりませんから(笑)。いや、ほんとに。小説の方が自分の中では難しいですね、自分の技量の問題なんですけど、小説で映画ほどの多義性を得るにはどうしたらいいだろう、と悩みます。映画って基本的に心は映らないので、表情を映して、その裏にどういう心があるかは、お客さんが想像できるようにフラットにやりたい。心情を映画で表現しようとすると、どうしても説明的なセリフだったり芝居だったりになってしまうので、なるべく説明はしないようにと思ってるんです。


 ただ小説の場合はどうしても、内面をまったく書かないでというのはなかなか難しい。だから、『淵に立つ』の時には三人称にして、三人称だけど、なるべくシンプルな感情の動きだけを描く、深堀りはしないっていう描写にしました。今回に関しては一人称でかつ書簡体のようにしたんで、多少自由度が上がったかなとは思っていて。書簡体なら、例えばサチコは自分の気持ちをいろいろ書いていても、それがサチコの本音かどうかはわからないですからね。


Q:実際小説の中でも、クリスのパートに関しては、本人が都合のいいことだけ書いているとサチコからも指摘されてますよね。


深田:はい。そういうアプローチができたから、自分の中でもギリギリのところで自由に書けたかなと思っているんです。小説家では富岡多恵子さんが好きなんですが、もともと詩人だったのが小説家に転向して、第一作目が「丘に向かってひとは並ぶ」っていう短編なんですけど、それが本当にすごいんです。完全に三人称で書かれていて、それぞれの人物が何を思った、何を言った、何をしたっていう、単純な感情と単純な行動だけが綴られているがゆえに、すごく神話的な広がりを持つ作品になっている。自分もそれを理想としてるんですけど、なかなかやっぱり難しいですね(笑)。




Q:小説版では20年後からの視点で描かれているところが多いですが、当時のことを思い出しても、それぞれが違った形で記憶していて、結局誰もお互いのことはわかっちゃいない。この辺りの描写には監督らしい一貫したものを感じます。


深田:結局人はわかった気になるしかないというのは、自分の中で普遍的なことなんです。それは映画になっても小説になっても変わらないと思います。ただ『海を駆ける』の小説が20年後の視点から書かれているのは、本当に苦し紛れに思いついたことで。苦しまぎれっていうのも何ですけど、思いつけて本当によかった(笑)。


 自分は好きな映画の背中を追いかけて映画業界に入ってきた人間で、好きだと思ったものが気づかないうちにいろいろ反映されて作品ができていると思うんですけど、小説を書く時にもイメージするものがあって、今回の場合はイタリア文学者の 須賀敦子さんなんです。


 須賀敦子さんは日本でも指折りの美しい文章を書く人だと思っているんですが、結構デビューが遅くて、60代になってから、自分がイタリアに住んでいた頃の思い出を綴った随筆を書いて、すごく評価されて賞も獲った。須賀さんは30代の時にイタリア人と結婚してイタリアに移住して、そこに7年間くらい住んだんだけど、その夫が死んでしまう。その後もしばらくイタリアに住んでから日本に戻ってきたんですね。実はサチコは須賀さんに重ね合わせていまして、須賀さんが年を取ってからイタリアでの若き日々について書いたように、サチコも40年経ってあの手記を書いている。まあ、わかる人にはわかるネタという感じですけどね(笑)。


※前編はこちらから



深田晃司(ふかだこうじ) 映画監督

1980年、東京都出身。映画美学校監督コース修了後、2005年、平田オリザ主宰の劇団青年団の演出部に入団。2006年発表の中編『ざくろ屋敷』にてパリ第3回KINOTYO映画祭ソレイユドール新人賞を受賞。2008年『東京人間喜劇』がローマ国際映画祭、パリシネマ国際映画祭選出。大阪シネドライブ大賞受賞。2010年『歓待』にて東京国際映画祭日本映画「ある視点」部門作品賞、プチョン国際映画祭最優秀アジア映画賞(NETPAC賞)を受賞。2013年には『ほとりの朔子』がナント三大陸映画祭グランプリ&若い審査員賞をダブル受賞。タリンブラックナイト国際映画祭監督賞受賞。2015年、平田オリザ原作『さようなら』が東京国際映画祭コンペティション部門選出。マドリード国際映画祭にてディアス・デ・シネ最優秀作品賞を受賞。2016年公開『淵に立つ』では、第69回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門審査委員賞を受賞。初ノミネートで初受賞は、20年ぶりの快挙。2018年5月26日、最新作『海を駆ける』(ディーン・フジオカ主演)を公開。また、フランス文化省から芸術文化勲章のシュバリエ(騎士)が授与されることが発表された。2012年よりNPO法人独立映画鍋に参加している。



取材・文:村山章

1971年生まれ。雑誌、新聞、映画サイトなどに記事を執筆。配信系作品のレビューサイト「ShortCuts」代表。




『海を駆ける』

2018年5月26日(土) 全国ロードショー

© 2018 "The Man from the Sea" FILM PARTNERS

日活 東京テアトル



2018年6月16日(土)~6月29日(金)

深田晃司映画まつり2018 

シアター・イメージフォーラムにて開催

新作短編『ジェファソンの東』を含めた、深田監督作品を一挙上映!

公式サイト: http://www.fukada-cinema-party.com/

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