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【ミニシアター再訪】第1回 1981・・・その1

【ミニシアター再訪】第1回 1981・・・その1

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 1981年は東京のミニシアター史にとって記念すべき年である。3つの商業的なミニシアターが次々にオープンしたからだ。六本木の俳優座シネマテン(3月)、渋谷のパルコ・スペース・パート3(9月)、新宿のシネマスクエアとうきゅう(12月)。こうした劇場の登場によって状況が変わっていき、東京のミニシアター文化が大きな盛り上がりを見せることになる。


 当時のミニシアターは新しいことに挑戦していた。当時、普通の映画館は夜の7時前後が最終上映だったが、そんな状況を変えようとしたのがシネマテンで、「東京で初のレイトショー館」となった。


 また、現在の六本木には東宝系の大きなシネコンがあるが、80年代初頭、この街には映画館がなく、六本木で映画館は成功しない、とさえ言われていた。


 シネマテンはそんな流れも変えようと奮闘。「六本木で成功した初の映画館」でもある。この劇場からは『眺めのいい部屋』(86)という大ヒット作も生まれている。


 ※以下記事は、2013年~2014年の間、芸術新聞社運営のWEBサイトにて連載されていた記事です。今回、大森さわこ様と株式会社芸術新聞社様の許可をいただき転載させていただいております。


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六本木の演劇スペースをミニシアターに



 地下鉄の六本木駅を降りて、大きな交差点の方に向かうと横断歩道が見える。かつては角に誠志堂という書店があり、よく待ち合わせに使ったものだが、今は携帯ショップに替わってしまった。


 その店を背にして道を渡り、しばらく直進すると左手にあるのが俳優座劇場だ。丸いチケットブースがあり、ガラスのドアを入ると、円形のロビーが広がる。そのロビーの向こうに英国式と銘打ったパブ、HUBのカウンターがある。


 そんな俳優座劇場を映画館にかえた人々がいた。映画館といっても、別の部屋があるのではなく、演劇の上演が終わった後、そこで映画を上映していた。その映画館は「俳優座シネマテン」という名前で始まり、途中で「俳優座トーキーナイト」と名称を変え、20年以上続いた。


 いま、劇場を外から見ても、かつて映画館が存在した跡は何ひとつ残っていない。もともとあった芝居小屋を映画館として利用していただけだから外観は変わるはずもなく、劇場にしてみれば以前に戻っただけだろう。しかし、そこにミニシアターが存在したことを知る人間にとって、その(今では古ぼけた)劇場はさまざまな感慨をかきたてるはずだ。外観が変わらないからこそ、映画館の不在が寂しく、かつての記憶をたぐり寄せたくなる・・・。



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