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【ミニシアター再訪】第1回 1981・・・その1

【ミニシアター再訪】第1回 1981・・・その1

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日本で初めてのレイトショー館をめざして



 俳優座シネマテンがスタートしたのは1981年3月20日。初めてかけられた映画はフランソワ・トリュフォー監督の『アメリカの夜』(73)である。ヨーロッパ映画好きの吉田叡子元支配人の趣味を反映して、この作品を“はじまり”に選んだ。開場時間は午後9時45分、開映は10時。“午後10時の映画館”が誕生した。


 いま、こうして文字にしてみると、特に珍しいとは思えないが、当時、日本の映画館の最終上映時間は夜の7時前後。土曜日のオールナイトをのぞけば、夜に映画を見ることはできなかった。しかも、DVDやビデオも、衛星放送も普及していなかった時代。夜の映画を見るための唯一の方法は地上波のテレビの映画番組だけだ。


 そこで吉田元支配人は観客が夜も映画を楽しめる劇場を作ろうと考えた。場所は六本木。70年代に起きたディスコ・ブームはこの街でも盛り上がり、その華やかな雰囲気が80年代初頭にも残っていた。夜も人が絶えない六本木という街を選び、シネマテンは東京で初めてレイトショーを始めた映画館となった。



◉亀井俊介を引用し意気込みを感じさせるシネマテンオープン当時のチラシ。客席数は約300席あった


 毎日、夜の10時から1回だけ、芝居小屋で映画を上映する。いま、思えばまるで砂漠の蜃気楼のようではないか。しかし、そんな特殊な上映スタイルが当時は新鮮に思えたものだ。


 劇場の“はじまり”を知りたくて、2012年6月、吉田元支配人と再会すると、支配人はこんな話を始めた。


 「あの頃、六本木の夜には活気がありました。日本は経済が上向きで、テレビ局では24時間放送が真剣に検討されていたほどです。夜の時間を使わないのはもったいないとさえ思われていたんですね。夜の活気と経済の活気。その両方が揃った時代でした」


 当時の六本木には映画館がなく、映画館は成功しない、という声も聞かれたが、シネマテンは80年から準備を進め、81年にオープンすることが決まった。


 「ヨーロッパでは夜も映画を上映していて、夕食後も映画を楽しめるのに、日本にはそういう劇場がないことを残念に思っていました。そこで大人が夜に映画を楽しめる映画館をめざしました。劇場名の由来は、10時からの上映という意味もありますが、その頃、『テン』(80)というアメリカ映画が海外では話題になっていて、10点満点の美女が出てくる映画なので、それもひっかけて、この劇場名になりました」



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