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【ミニシアター再訪】第1回 1981・・・その1

【ミニシアター再訪】第1回 1981・・・その1

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英国のコスチューム映画『眺めのいい部屋』が大ヒット



 その後は英国のユニ・セックス的なミュージシャン、デヴィッド・ボウイの2本の未公開作──伝説のライブ映画『ジギー・スターダスト』(73)と『ジャスト・ア・ジゴロ』(78)、セルジュ・ゲンズブールが監督して、ジェーン・バーキンが主演した75年のカルト的なフランスの恋愛映画『ジュ・テーム…』、イタリアの先駆的なふたりの女性監督、リリアーナ・カヴァーニとリナ・ウェルトミュラーの幻の名作なども上映される──カバーニは『ミラレパ』(73)『ルー・サロメ 善悪の彼岸』(77)、ウェルトミュラーは『セブン・ビューティーズ』(76)などである。


 また、80年代後半はジェームズ・アイヴォリー監督の英国映画『眺めのいい部屋』(86)が上映され、シネマテン最大のヒット作となる。アイヴォリー監督(出身はアメリカ)も、長年、日本には作品が輸入されず、この作品もすぐには買い手がつかなかった。


 ヘレナ・ボナム・カーターやダニエル・デイ=ルイスなど、今では有名になった英国の演技派が出ているが、彼らも当時は無名の新人俳優。知名度のない監督&俳優によるコスチューム劇ゆえ、日本ではむずかしいと考えてられていたようだ(英国のコスチューム物としては『アナザー・カントリー』(84)もこの劇場の成功作となっている)。


 草分け的なミニシアターの最初の大きな役割は、埋もれていた海外(特にヨーロッパ)の名作やカルト的な作品の発掘だった。当時の日本のロードショー館ではハリウッドのメジャー作品の上映が中心。マイナーなインディペンデント映画やヨーロッパ映画も、たまにホール上映されることはあったものの、一般の商業館にかけるのはむずかしく、映画の多様性への道のりはまだまだ遠かった。


 しかし、こうした状況に風穴をあけたのが81年に始まった3つの商業的なミニシアターのオープンだった。この年、六本木の俳優座シネマテンが3月、シネマテンと共同公開も多かった渋谷のパルコ・スペース・パート3が9月、新宿のシネマスクエアとうきゅうが12月にオープンする。


バブル景気が始まろうとしていた81年の東京に、ミニシアターという新しい文化が芽ばえたのだ。 



◉いまや不夜城と化している六本木でも、夜の映画館は新鮮だった(2012年撮影)



前回:【ミニシアター再訪】プロローグ

次回:【ミニシアター再訪】第2回 1981・・・その2



文:大森さわこ

映画ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書にウディ・アレンの評伝本「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウエブ連載をもとにした取材本、「ミニシアター再訪」も刊行予定。



※本記事は、2013年~2014年の間、芸術新聞社運営のWEBサイトにて連載されていた記事です。今回、大森さわこ様と株式会社芸術新聞社様の許可をいただき転載させていただいております。なお、「ミニシアター再訪」は大幅加筆し、新取材も加え、21年にアルテス・パブリッシングより単行本化が予定されています。

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