かつて新宿・歌舞伎町にあった草分け的なミニシアター、シネマスクエアとうきゅう。
81年のオープン以来、この劇場のおかげで質の高い数々の作品が命を救われた。長年、オクラだったハリウッド系有名監督の作品、オスカーの外国映画賞を受賞した地味なヨーロッパ映画、公開がむずかしいアート系の邦画やアジア映画が公開された。画一的だったそれまでの映画興行に風穴をあけ、多様性への道が開かれていったのだ。
そんな新しいミニシアター誕生の背景をふり返ったのが、かつてヘラルド・エース(配給会社)に在籍し、後に字幕翻訳家として活躍していた寺尾次郎さんである。
寺尾さんはこの取材(2013年)の5年後、残念ながら他界され、ここでの発言は貴重な生前の声となった。
関係者の中には、寺尾さん以外にも、最近、故人となった方がいらっしゃる。シネマスクエア・マガジンと題された豪華なプログラムを編集されていた映画・演劇評論家の小藤田千栄子さん。プログラムに定期的にヨーロッパ映画の状況を寄稿されていたプロデューサーの吉武美知子さん。
多くの力が重なることで、こうした劇場のクオリティも維持されていた。故人となられた方々のご冥福を祈りながら、シネマスクエとうきゅうのかつての足跡をたどり直したい。
※以下記事は、2013年~2014年の間、芸術新聞社運営のWEBサイトにて連載されていた記事です。今回、大森さわこ様と株式会社芸術新聞社様の許可をいただき転載させていただいております。
Index
変わっていく新宿・歌舞伎町の風景
2013年、2月。東京・新宿の繁華街、歌舞伎町にある映画街を訪ねようと思った。今の「シネマスクエアとうきゅう」を見るためだ。もう、かなり長い間、この界隈には足を踏み入れていない。
平日の夕方、歌舞伎町に入り、まずは大きな変化に気づく。歌舞伎町のシンボル的な建物だった新宿コマ劇場が取り壊されている。消えたのはコマ劇場だけではない。その隣にはロードショー館の新宿プラザがあった。スクリーンが巨大な映画館で、ハリウッド大作が似合う華やかな劇場だった。しかし、コマ劇場同様、更地になっている。
通りを進んだ広場の周辺には複数の映画館が並んでいて、80年代は中央に噴水があったが、今は白い塀で覆われている。かつてとは様変わりした歌舞伎町の劇場街。
ミラノ座が入ったビルの方に進み、「シネマスクエアとうきゅう」の文字が見える入口に行くと、やっとお目当ての劇場で上映されているポスターが目に入る。その週はミュージカルの映画化『レ・ミゼラブル』(12)がかけられ、次の週からオサマ・ビンラディンの事件に追った『ゼロ・ダーク・サーティ』(12)が始まる。どちらもハリウッドの話題作だ。
こうしたポスターを見ると、かつての「シネマスクエアとうきゅう」とは変化したことが一目で分かる。こだわり系の作品だけを上映していた時代は終わってしまったようだ。
そんな劇場を見ながら、かつて「シネマスクエアとうきゅう」の仕事にかかわっていた人々に思いをはせる。