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【ミニシアター再訪】第3回 1981・・・その3

【ミニシアター再訪】第3回 1981・・・その3

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フランス製の豪華な椅子をアピール



 映画会社、ヘラルド・エースの元宣伝部だった寺尾次郎さんは80年代初頭の話を続け、「シネマスクエアとうきゅう」のミニシアターとしてのコンセプトについて語り始めた。


 ヘラルド・エースの原正人社長は、その劇場に付加価値をつける必要があると考えていた。


 「原社長は映画を上映する時、“何か特別な飾りをつけてあげなくては”と考えていたようです。この劇場の場合、“椅子を売りにしよう”という結論になり、エースのデザインルームのスタッフと話し合った結果、椅子をメインに据えたポスターを作ることになりました」


 劇場に設置されることになった椅子はフランスのキネット社のもので、1席(当時で)7万円の価格。実は新橋駅前ビル1号館のヘラルド映画の試写室は、椅子が上質なことで知られていたので、座り心地にこだわったのだろう。その頃、東京の映画館の椅子は、今と比べ縦も横も幅が狭かったが、新劇場の椅子はゆったりと設計されている。



◉80年代ファッションに身を包んだ女性が、"ゴージャス感"満載で7万円の椅子に腰掛けている。「シネマスクエア・マガジン」に収録された広告から。


 劇場の入場や鑑賞に関してもいくつかの制約が設けられることになった。従来の劇場は“流し込み”と呼ばれ、上映の途中で入り、そのままいることもできたが、新劇場では入れ替え制を実施した。さらに食事の持ち込みも禁止する。食べ物の音や途中入場に邪魔されないで映画に没頭できるよう配慮したルールで、その後、多くのミニシアターでも採用されるようになった(これに関しては批判もあったが)。


 また、当時のロードショー館では客入りが悪い場合、1~2週間で打ち切られていたが、ここでは最低4週間は上映することになり、その作品の興行が週平均500万円を維持できる場合はかけ続けることになった。


 「何週上映できるか、だいたい初日の成績で分かります。それで上映予定週を決めていたんですが、週平均500万円を目標にしていたのは、いい時代だったと思います。今だと1週間300万円がやっとではないでしょうかね」と寺尾さんは語る。



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