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【ミニシアター再訪】第5回 六本木からのNew Wave・・・その2 シネ・ヴィヴァン・六本木 後編

【ミニシアター再訪】第5回 六本木からのNew Wave・・・その2 シネ・ヴィヴァン・六本木 後編

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多目的ホールからミニシアターへ



 WAVEはその宇宙船を思わせる外観も含め、独特の雰囲気を持つビルだった。 


 「本当は池袋にあった多目的ホール『スタジオ200』をシネ・ヴィヴァンみたいな映画館にする話も出ていたんですが、当時の消防法では出口がふたつないと映画館として許可が下りず、ここでは講演つきの上映しかできませんでした。そこで他の劇場がやらない実験性と商業性を兼ね備えた映画館を、ということで、シネ・ヴィヴァンが誕生しました」 


 スタジオ200は、池袋の西武百貨店の中にあった多目的ホールで、他の商業劇場では上映できない貴重な映画の上映も行われていた。個人的に特に忘れがたい80年代前半のイベントのひとつにオーストラリアの新しい監督たちの作品を集めた「オーストラリア映画祭」があった。 


 後に『いまを生きる』(89)や『トゥルーマン・ショー』(98)のようなハリウッドのヒット作も手がけることになる(当時は新人の)ピーター・ウェア監督が若き日にオーストラリアで撮った傑作『ピクニック at ハンギングロック』(75)も、そこで初めて紹介された。ピクニックに行った美しい少女たちが神隠しにあうという奇妙な実話をもとにしたファンタジーで、詩心をあふれる幻想的な映像に衝撃を受けた覚えがある。映画祭で評判を呼んだこの作品は、86年にシネ・ヴィヴァンでロードショー公開されている(配給は松竹富士クラシック)。



◉シネ・ヴィヴァン・六本木のパンフレットはB5判の大きさ。 シネマスクエア・マガジンと同様、雑誌風に号数が振られている。



◉2号目となる『コヤニスカッティ』の目次を見ても“雑誌志向”の意気込みが伝わってくる 


 スタジオ200という先鋭的なイベントホールの“さらなる進化形”として登場したのがシネ・ヴィヴァン・六本木で、前回、紹介したようにジャン=リュック・ゴダールの『パッション』(82)を皮切りに、最先端の知的なアート系映画が次々にかけられた(ヨーロッパ映画が中心だった)。 


 この劇場が最初に買って、配給も担当した作品はスイスの鬼才、ダニエル・シュミット監督の『ラ・パロマ』(74)。当時は劇場が配給まで手がけることはほとんどなく、そんな側面だけを見ても、この映画館の先駆的な特質が分かる。『ラ・パロマ』は81年に東京で行われた「スイス映画回顧展」で上映されて反響を呼び、84年にこの劇場の7本目の上映作品に選ばれた。青年貴族と歌姫ラ・パロマの不思議な恋物語で、メロドラマとホラーと神話的な雰囲気がミックスされた通好みの作品だった。 


 「ただ、ヴィヴァンとしては、その後シネセゾン(西武流通グループの映画会社)ができるという発想がその頃はなくて、劇場の倉庫にフィルム棚まで作っていたほどです。ところが、シネセゾンができてからは、本部vs劇場マネージメント、配給vs興行みたいな関係になっていったんですよ」 



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