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【ミニシアター再訪】第5回 六本木からのNew Wave・・・その2 シネ・ヴィヴァン・六本木 後編

【ミニシアター再訪】第5回 六本木からのNew Wave・・・その2 シネ・ヴィヴァン・六本木 後編

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CMをめぐる本部との対立



 本部とは劇場の方針をめぐって対立することもあり、某大手化粧品メーカーのCMを流すように要請があった時はWAVEの館長を味方につけて、申し出をきっぱり断った。 


 「幻想かもしれないけれど、シネ・ヴィヴァンはコアな映画ファンのための純粋な映画館であることをアピールしていました。そこでCMを流して小銭を稼ぐのと、劇場のブランディングを崩すのとどっちを取る?──と本部につきつけたこともあります。翌年、劇場がシネセゾンの直営になり、また劇場でCMをかける話が出ました。そこで最初だけはシネ・ヴィヴァンらしいことをやろうと考えました」 


 思いついたのが、『パッション』のゴダール監督がレナウンのために撮った「BBNY」のCMを流すことだった。 


 「シネ・ヴィヴァンの最初の広告は、ゴダールのものをやらせてほしい、とレナウンの文化事業部にかけあいました。当時はそれくらい、つっぱっていました。映画館としては、唯一、とんがっていたというか、おしゃれな感じもあったかもしれません。気取っていたといえば、気取っていたかもしれないですが、それが個性にもなっていました」 


 そんなこだわりは劇場パンフレットにも出ていて、文字がぎっしりつまった読み応えのあるものが作られている。そこには当時、絶大なる支持を誇った評論家の蓮實重彦と作曲家の武満徹の(今では考えられないほど)長い対談が、毎回、登場している。ちなみに『ラ・パロマ』をめぐるふたりの言葉を引用すると── 


武満「〔この映画は〕誰が見ても面白い。〔中略〕ただ、映画をたくさん見ている人ほど、その面白さの度合いが深いだろうとは思いますけど」


蓮實「こういうことはあまり言いたくないですが、映画的素養がない人には観せるのが惜しいっていう思いはあります」 


 思えば、シネ・ヴィヴァンが登場した83年、出版界では20代の浅田彰の「構造と力」(勁草書房)が学術書としては異例の15万部のベストセラーとなり、ニュー・アカデミズムの教養主義が注目されていた(蓮實重彦もその中心を担った評論家だった)。また、ファッション界ではコム・デ・ギャルソンの川久保玲やY’sの山本耀司が81年にパリコレのデビューを果たし、そのモノトーンのファッションが人気を博していた。最先端の知性やブランド服を身にまとうことがかっこいい。そんな時代の空気が流れる中、シネ・ヴィヴァン・六本木は“とんがった知性”が売りのミニシアターとして存在感を示し始める。 



◉7号目となる『ラ・パロマ』のパンフレットより。蓮實×武満対談は、本誌の目玉といってよい企画で、表紙にも2人の名が記載されている。





◉シナリオ採録ページの余白ひとつをとっても映画に付加価値をもたらそうとする姿勢が見てとれる。



◉次回予告作品には『ミツバチのささやき』も入っている



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