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【ミニシアター再訪】第5回 六本木からのNew Wave・・・その2 シネ・ヴィヴァン・六本木 後編

【ミニシアター再訪】第5回 六本木からのNew Wave・・・その2 シネ・ヴィヴァン・六本木 後編

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スマホでは良さが伝わらない



 極端な反応を促すヨーロッパ映画がこの劇場では数多く上映されていた印象がある。スイスのフレディ・M・ムーラーが撮った『山の焚火』(85)もそんな映画の一本だった。山奥で静かに暮らす両親と姉弟。姉はやがて口がきけない弟の子供を身ごもり、両親との穏やかな関係が崩れていく。神秘的、かつ神話的な世界が(セリフではなく)映像の力で語られ、鮮烈な美しさがあった。この作品も塚田元支配人のお気に入りの一本であるという。 


 「ああいう映画はプロットを見る作品ではないですよね。その空間の中に情感とか、詩情といった別の言葉が感じ取れます」 


 近年、スマートフォンなどの画面で映画を見ている人の姿も電車で目にするが、そうした小さな画面では読み取れない奥行きのある世界が『山の焚火』のような作品には広がり、観客もそんな映像に飲み込まれることを楽しんでいた。 


 「当時のシネ・ヴィヴァンは普通の商業館にかからないものに果敢に挑戦する映画館で、コンテンポラリーなアートと映画という方向を打ち出していました。今の時代ではむずかしいと思いますが、あの頃はこういうこともできました。それに海外の映画祭など買い付けの現場ではし烈な(作品争奪の)戦いを繰り広げていたものの、一緒に育った仲間たちもいましたしね」 


 そんな話をしながら、元支配人はパンフレットに載った写真に目をとめる。 


 「あ、彼女、どうしているのかな?」 


 写っているのは、『パッション』や『カルメンという名の女』(83)といったゴダール作品に出演していたマルーシュカ・デートメルスである。今は名前を覚えている人も少ないと思われるが、当時は挑発的なエロスとエキゾティズムが魅力的なオランダの女優だった。 


 「うちの劇場で彼女を呼んで、来日した時は一緒にやきとり屋に行ったこともあります。実はシネセゾン渋谷の当時の支配人も一緒にいて、彼だけ頬にキスしてもらったんです。うちが呼んだのに……と、相当むかついた覚えがあります(笑)」 


 先鋭的なアート館の根っこには、実は人間くさい情熱やエネルギーがあふれていて、それが見る側の好奇心をも刺激していたのだろう。 


 西武流通グループ(のちのセゾングループ)は他にもキネカ大森(84年)、シネセゾン渋谷(85年)、キネカ錦糸町(86年)、銀座テアトル西友(現テアトル・シネマ、87年)等のミニシアターをオープンする。そんな中でもシネ・ヴィヴァン・六本木は作り手の挑発的な姿勢がはっきり出たチャレンジャーであり、まさに80年代の「知」を代弁する劇場だった。 



◉シネ・ヴィヴァン・六本木が存在した周辺 (2012年撮影)



前回:【ミニシアター再訪】第4回 六本木からのNew Wave・・・その1 シネ・ヴィヴァン・六本木 前編

次回:【ミニシアター再訪】第6回 “渋谷劇場”の幕開け、ミニシアターの開花・・・その1 PARCO・スペース・パート3 



文:大森さわこ

映画ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書にウディ・アレンの評伝本「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウエブ連載をもとにした取材本、「ミニシアター再訪」も刊行予定。



※本記事は、2013年~2014年の間、芸術新聞社運営のWEBサイトにて連載されていた記事です。今回、大森さわこ様と株式会社芸術新聞社様の許可をいただき転載させていただいております。なお、「ミニシアター再訪」は大幅加筆し、新取材も加え、21年にアルテス・パブリッシングより単行本化が予定されています。

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