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【ミニシアター再訪】第6回 “渋谷劇場”の幕開け、ミニシアターの開花・・・その1 PARCO・スペース・パート3

【ミニシアター再訪】第6回 “渋谷劇場”の幕開け、ミニシアターの開花・・・その1 PARCO・スペース・パート3

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渋谷の夜を変えたい



 85年にはスペース・パート3の変化をうながすひとつの事件も起きている。至近距離にあった劇場、渋谷ジョイシネマでレイトショー上映されたトーキング・ヘッズのコンサート映画『ストップ・メイキング・センス』(84)に多くの若い観客がつめかけたのだ。


 「レイトショーでこれだけ人が入ったことにとても驚きました。渋谷の夜は若者がこういう文化を求めているのか、と思ったものです。それでうちでも、ジョン・ウォーターズの『ピンク・フラミンゴ』(72)や『フィメール・トラブル』(74)をレイトで上映することにしました」


 『ピンク・フラミンゴ』はアメリカでは70年代に都市部の劇場で真夜中に公開されて、異例の大ヒットとなったが、その過激な内容ため、なかなか日本の土を踏めなかった。ディヴァイン扮するアブノーマルな巨体のヒロイン(といっても男)が、隣人たちと「どっちが最低な行為か」を競い合う。最後は犬の糞をめぐる衝撃的(いや、笑撃的?)な場面も登場する。


 「あの映画には他にも忘れらない場面があります。ある露出狂の人物が出てくるんです。本当は男ですが、見た目は女にしか見えない。正体が分かる場面があるんですが、当時は大事な場面にボカシが入り、そのユーモアが伝わらないんです。他にも『眺めのいい部屋』や『ルー・サロメ/善悪の彼岸』などにもボカシの箇所がありましたが、いま、考えると時代を感じますね。たいして意味のない場面も修正が入ると、逆になんだろう、と勘ぐったりして(苦笑)」


 この時代らしい苦労(?)をしのばせるエピソードだ。修正の場合、そこだけビデオに落としてボカシを入れる方法が安上がりなので、画面の粒子が粗くなる。今では考えられないようなチープな修正技術がまかり通っていた。


 『ピンク・フラミンゴ』を監督した伝説の監督、ジョン・ウォーターズは86年にパルコ劇場やスペース・パート3で開催された「ぴあフィルムフェスティバル」のニューヨーク・インディーズ映画祭のゲストのひとりとして、(新人だった)ジム・ジャームッシュや(無名の)スパイク・リーらと共に来日もし、インディペンデント界の新しい活気を伝える役割も果たした(ウォーターズは、毎日、違うジャケットと靴を着用して、とてもおしゃれだった。渋谷を見て、「まるで『ブレードランナー』(82)から抜け出てきたような街だね」と言っていた)。


 「ウォーターズは若い恋人(男性)と一緒に来ていましたね。アメリカのインディペンデントの監督といえば、うちで上映した『セコーカス・セブン』(80)のジョン・セイルズも来日していて、僕がホテルに迎えに行った覚えがあります。ニューヨーク・インディーズとカルトムービーというのが、この頃のパルコのひとつのキーワードかもしれません」と根占さんは語る。


 B級のマニア受けする映画だけではなく、風変わりながらも、長い年月に渡って映画ファンに愛される映画が、当時はカルトムービーと呼ばれていた(言葉の意味が広かった)。 



◉1986年にぴあフィルム・フェスティバルで来日したジョン・ウォータズにもらった筆者自慢の直筆サイン

◉昨年で34回を数えた新しい才能の発掘を目的とした「ぴあフィルムフェスティバル」は、第5回(1982年)から第10回(87年)まで、パルコ・スペース・パート3で開催されていた

◉幻の映画『エル・トポ』は、約20年潜伏したのち、日本で公開された 



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