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【ミニシアター再訪】第6回 “渋谷劇場”の幕開け、ミニシアターの開花・・・その1 PARCO・スペース・パート3

【ミニシアター再訪】第6回 “渋谷劇場”の幕開け、ミニシアターの開花・・・その1 PARCO・スペース・パート3

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ジョン・レノンもほれ込んだ幻の映画



 こうした上映作品について根占さんは話を続ける。


 「ラインナップの中で特に忘れられない作品ですか? そうですね、『エル・トポ』(69)を上映できてよかったと思います。ジョン・レノンが上映権を取りたかったという幻の映画です。エル・トポは“もぐら”の意味ですが、僕らが公開することで、陽の目をみたという喜びもあります。『ピンク・フラミンゴ』もそうでしたが、映画評論家の故・佐藤重臣さんあたりが闇でひそかに上映していた作品を公のものとして、世の中に送り出すことができました」


 佐藤重臣さんは海外で密かに買い求めた風変わりな未公開作を70年代から80年代にかけて新宿の自身のアングラな上映スペースにかけていた。プリントの状態はけっしていいとはいえない。しかし、幻の映画を目にできるだけで誰もが満足していたはずだ。


 非合法の上映だったが、そうした闇の中にいた伝説の映画をパルコという商業的な施設が拾い上げることでより多くの観客が目にすることになった。70年代のサブカルチャーの毒が、こうした上映によって失われた、という批判もあったが、80年代に登場したミニシアターの多くが、日本で幻といわれた洋画の初公開に貢献しているように、パルコの劇場にもそういう動きがあったということだろう。


 アレハンドロ・ホドロフスキー監督のメキシコ映画『エル・トポ』ではひとりの男の魂の旅が描かれ、シュールで、マカ不思議な映像を体験できる。『ピンク・フラミンゴ』は東映ビデオ(配給はケーブルホーグ)、『エル・トポ』はにっかつビデオが権利を持っていたようだが、これに関して根占さんは回想する。


 「80年代半ばからビデオが売れた時代で、レンタルも伸びて、日本で出ていないものがないか各社が探していました。とにかく、何でも売れていた時代です。今はビデオを売ることを目的として劇場公開される作品もありますが、あの頃はそうではなく、まず劇場できちんと公開して、次にビデオという順番でした。『エル・トポ』などは僕たちの方から、ビデオ会社にポスターのアイディアを出したりしたものです」


 インディペンデント映画を育てる動きは、洋画だけではなく邦画に対してもあった。パルコの製作の『ビリィ★ザ★キッドの新しい夜明け』(86、山川直人監督、高橋源一郎原案、三上博史主演)や『ウンタマギルー』(89、高嶺剛監督、小林薫、戸川純主演)といった新人監督の作品も作った。


 前者に関しては86年7月27日『朝日新聞』首都圏ページに「自主映画に口出さず金出す」というタイトルのニュースが出ていて、既成の映画作りにとらわれない方法で製作を進めたことが、当時としては新しかったようだ。後者にはパルコが『セコーカス・セブン』、『メイトワン1920』(87)といった代表作を上映したアメリカのインディペンデント監督、ジョン・セイルズが沖縄の軍人役で出演しており、海外の映画祭でも評価された。


 上映に関しては滝田洋二郎監督の風刺的な作品、『コミック雑誌なんかいらない!』(86)もかけた。「『コミック雑誌なんかいらない!』はピンク映画を撮っていた滝田監督が初めて手がけた一般映画で、過激な内容のせいか、他の劇場では断られたそうです」と根占さん。


 「実はニュー・イヤー・ロック・コンサートを82年から87年にかけてパルコ劇場で行っていて、主演の内田裕也さんとつながりがあったんです。うちで上映することになりましたが、結果は大ヒットでした。内田さんはパルコのCFにも出演していました。こんな風にいろいろなものがつながっていて、上映が実現した作品もあります。ナマの人間のつきあいがあって、それで生まれていったものも多かったです」



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