オン・ザ・ストリートの精神
KUZUI エンタープライズの方針について、遠藤さんは振り返る。
「僕もそうですが、社長もスノッブな映画は嫌いだったようです。ヒップホップ・カルチャーの精神でもある“オン・ザ・ストリート”、“楽しい”、“スタイリッシュ”。それが会社の好む作品のキーワードでした」
そんな方針を持つ会社がある映画と運命的な出会いを果たす。それが『ストップ・メイキング・センス』だった。
◉『ストップ・メイキング・センス』の海外版ポスター。抽象性の高いデザインで斬新さが伝わる
この作品、アメリカではニューヨークとロサンゼルスの小さな劇場で封切られ、批評家や観客の支持を得ることで、やがては半年以上に及ぶロングランとなった。アメリカの雑誌「タイム」(85年2月4日号)では『レポマン』(84)、『チューズ・ミー』(84)など他のインディーズ系のヒット作と合わせて、この低予算映画のパワーを讃える記事が載っているる(“新しいカルトムービー”と呼ばれていた)。
しかし、アメリカでは話題になっても、この映画はなかなか日本の土は踏めなかった。ロックのライブ映画は興行的に厳しいというイメージがあったせいだろう(歴史的なロック映画『ウッドストック/愛と平和と音楽の三日間』(70)が上映された時も日本では不入りだったようだ)。80年の画期的なアルバム「リメイン・イン・ライト」で絶大な支持を得たトーキング・ヘッズは、音楽マニアにとってはニューヨークを代表する最先端のバンドだった。しかし、日本の映画業界では知名度が低かったことも公開が遅れた理由のひとつだろう。
サウンドトラック・アルバムだけは映画に先駆け、日本でもリリースされていて、すでに音楽ファンの間では話題になっていた。しかし、日本ではいっこうに上映される気配がない。
「キネマ旬報」(85年6月上旬号)に掲載された「カルトムービーズ」という記事の中で、当時、私はこんな文章を書いた。
「アメリカやイギリスのポップなかんじの作品を上映する小劇場が、日本にはあまりにも少なすぎる。だから、デレク・ジャーマンやジョン・セイルズらの作品もいまだに日本の土を踏めないではないだろうか。〔『ストップ・メイキング・センス』の〕記事を見るたびに、私は日本のファンたちと大画面に熱い声援を送る日が来ることを夢想してしまう」
そして、この記事が出た直後に、以前から知り合いあった伊地知さんと街でばったり会い、うれしいニュースを聞いた。
『ストップ・メイキング・センス』が遂に日本でも公開されることになったのだ。
[次回へ続く]
◉渋谷の東急本店から撮影した、80年代にKUZUIが入っていた雑居ビル。1階の酒屋は今も健在のようだ(2013年撮影)。
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文:大森さわこ
映画ジャーナリスト。著書に「ロスト・シネマ」(河出書房新社)他、訳書にウディ・アレンの評伝本「ウディ」(D・エヴァニアー著、キネマ旬報社)他。雑誌は「ミュージック・マガジン」、「キネマ旬報」等に寄稿。ウエブ連載をもとにした取材本、「ミニシアター再訪」も刊行予定。
※本記事は、2013年~2014年の間、芸術新聞社運営のWEBサイトにて連載されていた記事です。今回、大森さわこ様と株式会社芸術新聞社様の許可をいただき転載させていただいております。なお、「ミニシアター再訪」は大幅加筆し、新取材も加え、21年にアルテス・パブリッシングより単行本化が予定されています。