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【ミニシアター再訪】第9回 “渋谷劇場”の幕開け、ミニシアターの開花・・・その4 好奇心をくすぐるユーロスペース 前編

【ミニシアター再訪】第9回 “渋谷劇場”の幕開け、ミニシアターの開花・・・その4 好奇心をくすぐるユーロスペース 前編

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新しいドイツ映画を輸入



 ユーロの始まりは82年からで、当初は映画の常設館ではなく、コンサートや講演なども行う多目的ホールだった。初めて上映された映画はドイツ映画の『ある道化師』。75年に作られたインディペンデント映画で、7年遅れで日本公開となった。


 堀越社長はドイツで4年間暮らし、そこでヴィム・ヴェンダース、ヴェルナー・ヘルツォーク、ライナー・ヴェルナー・ファスビンダーといった“ニュージャーマン・シネマ”と呼ばれる戦後派の新しい監督たちの傑作に出会い、日本未公開の彼らの代表作を映画祭の形で上映して好評を得た。


 発足時のユーロでは『リリー・マルレーン』(81)などが話題を呼んでいたファスビンダー監督の未公開作の上映も行われた。『シナのルーレット』(76)やオムニバス映画『秋のドイツ』(78)といった作品だ。また、監督が30代で亡くなると、貴重な研究書、『R・W・ファスビンダー』(ヴォルガルフ・リマー著/丸山匠訳/欧日協会刊)も出版した。


 こうした流れにカルトムービー系の流れが加わったのが85年2月のこと。まずはシャムの双子兄弟の復讐をテーマにした奇妙なホラー映画、『バスケットケース』(82)がレイトショー上映されてマニアの間でひそかな話題を呼ぶ。


 私が劇場を初めて訪ねたのも、この作品が上映された時だ。こちらは海外では深夜映画(ミッドナイト・ムービー)として上映されて人気を呼んだ作品だ。


 当時、レイトショーの番組を担当していたのは、元・天井桟敷のスタッフ、山崎陽一さん。堀越社長はヨーロッパの重めのアート系映画を好んでいたようだが、山崎さんは得体の知れないいかがわしい雰囲気の作品を愛していて、彼の参加でユーロのラインナップにカルト的な味わいが加わる。


 山崎さんの後、ユーロに参加したのが、法政大学シネマクラブに参加していた北條誠人さん。学生時代は雑誌『宝島』などを読んでミニシアター系作品にも興味を持ち、フィルムセンターで日本の実験映画なども見ていたという。


 そんな北條さんの加入で、映画館としての個性はさらに広がる。北條さんは87年以降、現在に至るまで劇場支配人となり、現場の移り変わりを見てきた。



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