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【ミニシアター再訪】第10回 “渋谷劇場”の幕開け、ミニシアターの開花・・・その5 好奇心をくすぐるユーロスペース 中編

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命日の神軍饅頭



 『朝日新聞』(87年9月5日朝刊)に公開当時のことを伝える記事が残されている。話の特集社から出たこの映画に関する本の紹介記事であるが、その中から作品に関する部分を抜き出すと──。 


 「〔この作品は〕公開初日から一カ月余を経てなお、立ち見の盛況が続いている。〔中略〕主人公の破天荒なキャラクターと、衝撃的な内容とで、話題が話題を呼んでいるらしい」


 「自己宣伝のため、カメラの前で演技する奥崎と、主体的に記録しようとする原監督とのせめぎあいが興味深い。奥崎は、元上官を殺す場面を撮ってくれ、と原監督にもちかけている。撮るべきか、撮らざるべきか」


 「(中略)ニューギニアで(撮影した)フィルム没収に至るまでの奥崎の一人芝居は、もはや道化の様相を呈している」


 ちなみに映画公開中に奥崎は拘留中で、劇中にも登場する奥崎の妻シズミの一周忌の9月の命日には、彼の発案で劇場の観客と関係者に神軍饅頭が配られたという。


 「人類にいい結果が出る暴力なら、これからも大いに使いたい」という言葉を最後に残す奥崎の“究極”の日々の記録であり、撮る側と撮られる側の大きな葛藤を経て生まれたパワフルなドキュメンタリーでもあった。『ボウリング・フォー・コロンバイン』(02)で知られるアメリカのドキュメンタリー監督、マイケル・ムーアもこの映画を高く評価しているようだ。


 映画の公開からすでに25年以上が経過したが、当時の印象を支配人はこう語る。


 「題材もすごいですが、監督の力もありました。その人物にしがみついて、映画を撮り続ける作り手が今はいないと思います。また、当時はまだ戦争責任を問う時代だったし、左翼的な勢いが社会にもありました」


 「今はすべてがお金や効率優先ですが、あの頃は正義というものが、まだ、人々の間で信じられていた時代だったと思います。日本の政治の実権を握っているのも戦中派の政治家でしたしね。社会で映画がしめる位置も今とは違っていました。今は物を考えなくなったというか、戦争のことも風化してきて、時代が変わったことは否めないかもしれません」


 そんな北條さんの言葉が取材後も頭に残っていた。この映画が封切られたのは42回目の「終戦の日」の直前だった。この年(87年)、8月15日の『朝日新聞』の社説はこんな文章で始まる──。


 「いまの四十代後半以上の世代では、毎年八月になると、白く乾いたあの日の記憶がよみがえってくる人が少なくあるまい。古ぼけたラジオを囲む隣近所の人たち、ひどい雑音の中から流れる甲高い玉音放送が終わっても大人たちはうなだれたままで、せみしぐれだけがひびく──多くの日本人にとって戦争の終わりは突然であり、昭和二十年八月十五日は『空白の一日』だった」


 今年は終戦から68年目。「白く乾いたあの日の記憶」といわれても、リアリティを感じることができない戦後生まれが大半を占める時代となった。



◉北條支配人の手元にあった単行本『ゆきゆきて、神軍』。8月1日初刷りの本書は、11月5日で既に5刷りに達している



◉あえて8月15日にぶつけたキネカ大森のにくい編成の「キネマ旬報映画祭」(2013年)。



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