傑作揃いのBOWシリーズ
1976年に「BOWシリーズ」というフランス映画社のレーベルが作られ、日本で未公開だった世界の名作が次々に公開された。最初に上映されたのはジャン・コクトー原作、ジャン・ピエール・メルヴィル監督の『恐るべき子供たち』(50)とジャン・ヴィゴ監督の『新学期・操行ゼロ』(33)。
どちらも海外では傑作として評価されていたが、日本へは輸入されていなかった。千石の三百人劇場で公開されたが、古い映画であるにもかかわらず、新鮮なおもしろさがあり、当時、話題を呼んだ(演劇用の劇場だった三百人劇場は、この頃、ミニシアター的な役割も果たしていた)。
80年代にフランス映画社の事務所は銀座(松屋の裏)にあり、新作の試写会は銀座四丁目交差点の近くの東和の第2試写室で行われていた(現在のシネスイッチ銀座の上)。小さな部屋にふわふわした長椅子が置かれ、ひとりが動くとその列に座った数人の体も連動して動く。だから見る時はきちんと背筋を伸ばして座っていたせいか、何か厳粛な雰囲気があった。
この時代、フランス映画社は前述のアンゲロプロスの作品群やジャン=リュック・ゴダールの『パッション』(82)『カルメンという名の女』(83)、アンドレイ・タルコフスキーの『ノスタルジア』(83)、ヴィクトル・エリセの『ミツバチのささやき』(73)といった映画を買い付け、オープンしたばかりのシネ・ヴィヴァン・六本木にかけて評判を呼んだ。
そして、こんな六本木や渋谷にできた新しいミニシアターの勢いを見て、映画の老舗の街だった銀座もやっと重い腰を上げ、87年にシャンテシネやシネスイッチ銀座がオープンした。
そうした動きの中でフランス映画社はシネ・ヴィヴァン・六本木からシャンテシネへとメインの上映館を移し、特にヴィム・ヴェンダース監督の『ベルリン・天使の詩』(87)がミニシアター映画の歴史に残る記録的なロングランとなった。
他にも同社はジム・ジャームッシュ(『ストレンジャー・ザン・パラダイス』(84))、ラッセ・ハルストレム(『マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ』(85))、ホウ・シャオシェン(『悲情城市』(89)、ジェーン・カンピオン(『ピアノ・レッスン』(93))等、世界中の新しい才能を日本で紹介。「BOWシリーズ」はミニシアター界の最も信頼できる知的なブランドのひとつとなり、メジャーな商業映画とは違う映画の楽しみ方を伝える役割を果たした。
それまで日本では未公開でありながら、柴田社長やパートナーで副社長の故・川喜多和子さんの熱意で上映が実現した作品も多かった。
しかし、近年は配給作品も減ってしまい、看板監督のひとりだったアンゲロプロスの『エレニの帰郷』も未公開だった。
ところが、今回、銀座に本社のある東映が買い付けて、遂に公開が決まった。社長の監督への思いによって数年間オクラだった映画の公開が実現したといういきさつは、かつて、ミニシアターに夢を懸けていた映画人を思わせるものがある。
しかも、この上映を記念してアンゲロプロスの過去の10作品を集め、「アンゲロプロス監督回顧上映(レトロスペクティヴ)」も11日間に渡ってモーニングショーの形式で行うという(新宿バルト9 、梅田ブルク7で開催)。
『エレニの帰郷』の公開だけでも快挙だが、過去作品まで上映するとはかなり本格的な入れ込みようだ。東映からの電話を切った後、その公開のいきさつも含め、この遺作に興味がわいてきた。