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【ミニシアター再訪】第13回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その2 ある巨匠とフランス映画社 後編

【ミニシアター再訪】第13回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その2 ある巨匠とフランス映画社 後編

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真夜中の上映も



 以前、東映の試写室で見ていたが、それよりも大きなスクリーンなので、映像がさらなるインパクトを伴って迫って来る。最初の数分を見て、スタッフたちは外に出たので、私も後に続いた。近くのカフェで、お茶を飲むことになり、その輪に加わった。 


 日本で数年間、オクラだった巨匠の遺作をやっと世に送り出すことができた……。そのせいか、お茶会にいる関係者たちの顔には安堵の表情が浮かぶ。 


 「フランス映画社の作品をいつも初日に見に来るという方もいらっしゃいましたね」 スタッフのひとりがそう言うと、柴田社長は答える。 「初日にはね、公開する映画のポストカードを配っていたんですよ」 


 どうやらそのカードがほしくて、初日の初回に劇場にきていた観客も何人かいたようだ。その日も初日の“追っかけ”を続けているファンのひとりが来ていて、かなり年季が入っている様子。すでに社長とは顔見知りのようだ。


 特定の映画会社の“追っかけ”を続ける。これは大手の会社では考えられない現象かもしれない。会社の個性を打ち出し、誠意を持って、世界の名作や傑作を送り出す。そんな姿勢を40年間、貫いてきたフランス映画社だからこそ、こういうファンもついたのだろう。そんな話を聞きながら、私は劇場でもらった番組表に目を向ける。 


 「今回の映画、真夜中の24時からの上映もあるんですね」 私がそう言うと柴田社長はちょっとおどけた口調で答えた。 


 「アンゲロプロス映画の歴史の中で、初めての真夜中の上映ですか……。昔、『ミッドナイト・アート・シアター』にかけたこともありましたが……」 


 ミッドナイト・アート・シアター、そのタイトルに私はすぐさま反応する。80年代、フジテレビの深夜でアート系映画だけを放映するテレビの洋画番組があり、そこではフランス映画社の数々の作品群が上映されていた。今のように多チャンネル時代でもなく、特に地上波では地味なアート系映画はなかなか放映されなかった。


 しかし、この深夜枠の番組では、アンゲロプロスやタヴィアーニ兄弟(『サン★ロレンツォの夜』〈82〉)といったフランス映画社の作品を始め、ヘラルドエースやシネセゾン等、ミニシアターに映画を供給していた会社のさまざまな作品を見ることができた。記憶の彼方にあった番組のタイトルを聞いて、一瞬、80年代へとタイムスリップした。 


 「なつかしいですね」と私が言うと、柴田社長は答えた。「その時の『旅芸人の記録』(75)は上映時間が長かったので、2回に分けての放映でした。でも、今回の遺作は、一本まるごと、真夜中に上映されます。アンゲロプロス初ですな」 


 柴田社長はそう言った。かつての映画館はフィルムで上映されていたので、映写技師がいないと映画がまわせなかった。しかし、現在のようにデジタル上映には技師が必要ないので、遅い時間でも問題なく上映できる。 


 真夜中のアンゲロプロス……。そのレアな指摘は、長年、監督の作品に携わってきた柴田社長ならではのものだ。


 バルト9では他にも25時や26時に始まる映画もけっこうあるようだ。聞くところによれば、テレビやラジオなど、マスコミ業界の人間やクリエイターたちが仕事を終えた後、この劇場に来ることもあるという。 


 また、シネコンでの上映について柴田社長の口からはこんなコメントも聞かれた。 


 「とにかく、初日まで映写の状態が心配でした。でも、今日の初回を見たらいい状態で上映されていたので、ほっとしましたよ」


 「シャンテと比べていかがですか?」と私が言うと――。


 「スクリーンはこちらの方が大きいです」 


 ポツリ、ポツリとしか言葉を発しない社長だったが、その少ない言葉の中にアンゲロプロス監督への長年の思いが見え隠れする。 



◉『エレニの帰郷』封切日の前日(1月24日)は監督の三回忌だった。劇場に設けられた献花台には白いカーネーションが用意されていたが、自ら白いユリの花束を持ってきた観客もいた(2014年撮影)。



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