1. CINEMORE(シネモア)
  2. NEWS/特集
  3. 【ミニシアター再訪】第16回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その5 シャンテで大ヒット『ベルリン・天使の詩』
【ミニシアター再訪】第16回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その5 シャンテで大ヒット『ベルリン・天使の詩』

【ミニシアター再訪】第16回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その5 シャンテで大ヒット『ベルリン・天使の詩』

PAGES


ベルリンの壁、崩壊前の風景



 舞台はドイツの街ベルリンで、ダミエルとカシエル、ふたりの天使が登場する。天使といっても、かわいらしい容姿ではなく、ロングコートを着た中年男である。彼らは街を漂いながら住人たちを見守っているが、人間には彼らの姿が見えない。時に子供たちとは視線を交わすこともあるが、天使は彼らに触れることはできない。やがて、ダミエルはサーカスのブランコ乗りの美しい女性、マリオンに恋をして、人間になることを望む。天使であることをやめる選択をしたダミエルは人間としての肉体を得る。彼はベルリンのバーでマリオンと出会い、男と女となって見つめ合う。 


 物語だけを追うと、ロマンティックで、かわいい恋の物語にも思える(実はハリウッドで、その後、『シティ・オブ・エンジェル』(98)という題でリメイクされている)。しかし、設定はシンプルながらも、ドイツの文学性・哲学性を強く打ち出した詩的な作風で、公開当時は「分からない」「難解」という声も聞かれた。脚本を書いたペーター・ハントケはヴェンダースの友人で、小説家、詩人、劇作家としても活動している。監督とは『ゴールキーパーの不安』(71)、『まわり道』(74)などでも組んでいたが、そんな脚本家の文学的な側面が強く出ていた。 


 冒頭に「わらべうた」が登場する。 「子供は子供だった頃、腕をぶらぶらさせ、小川が川になれ、川が河になれ、水たまりは海になれ、と思った。子供は子供だった頃、自分が子供とは知らず、すべてに魂があり、魂はひとつと思った」(第1連) 


 この「わらべうた」はバリエーションを変えて、何度も出てくる。 


 「子供は子供だった頃、いつも不思議だった。〔中略〕なぜ、僕はここにいて、そこにいない? 時の始まりは、いつ? 宇宙の果ては、どこ? この世で生きるのは、ただの夢? 〔中略〕僕が僕でなくなった後、いったい僕は、何になる?」(第2連)


 「子供は子供だった頃、一度は他所(よそ)の家で目覚めた。今はいつもだ。〔中略〕昔は、はっきりと天国が見えた。今はぼんやりと予感するだけ。昔は虚無など考えなかった。今は虚無におびえる」(第3連) 


 人間が年を重ねることの意味を考えさせる詩を多用した、観客の内面への問いかけが、ベルリンの街を俯瞰した陰影あるモノクロの映像に重なっていく。この映画が撮られた頃、ベルリンの壁はまだ存在していて、主人公が落書きのある壁の前を通ると、重苦しい雰囲気が漂っている。ナチス・ドイツの記憶を抱える街でもあるので、かつての殺戮の歴史を思わせる映像も挿入され、それが現代(=80年代)を生きる人々の孤独な表情にもうっすらと影を落としている。白と黒の街は大きな廃墟のようにも見える。ストリートを漂い、そこで生きる人々を見守りながら、やがては愛に目覚めていくダミエル。人間となった後は地上の“形あるもの”の魅力に目覚める。映像も後半はモノクロからカラーに変わり、主人公を取り巻く世界が色やにおいを獲得していく。 


 見る人の感性や感覚を問うような構成で、見た人の数だけ、異なる解釈も成立しそうな作品だ。主演はドイツを代表する名優のブルーノ・ガンツで、『刑事コロンボ』で知られるアメリカの人気男優、ピーター・フォークは元・天使だった俳優役で温かいユーモアを添えていた。 


 この映画について高橋専務はさらにこう回想する。 「公開の時、フランス映画社の柴田さんは大変、苦労されたと思います。字幕が入っても、この作品がむずかしいことに変わりはないからです。ただ、シャンテシネで公開するということで、字幕の内容などもいろいろ考えた結果、最終的な形が出来上がったのだと思います。試写で字幕入りを見直しても、とにかく、映像はすばらしいのですが、はたしてこれでお客様が来るのかな、と思ったものです」 



◉公開後の大ヒットで、天使ブームも起きた『ベルリン・天使の詩』の劇場プログラム。主演はドイツの名優、ブルーノ・ガンツ。




PAGES

この記事をシェア

メールマガジン登録
  1. CINEMORE(シネモア)
  2. NEWS/特集
  3. 【ミニシアター再訪】第16回 映画の街・銀座からの巻き返し・・・その5 シャンテで大ヒット『ベルリン・天使の詩』